「無理しないでね」
ほとんどの人が心のどこかに鬱を抱えている世の中で、最近よく言われるのが、「がんばっている人に『がんばってね』というのは残酷だ」というもっともらしいご意見。もちろん、確かにそのとおりだというケースもあるだろう。でも、結局はケースバイケース。この物言いをそのまんま薄っぺらく受け止めて、無理をしてでも自力で乗り越えるしかない状況に置かれている人に対して無責任に「無理しないでね」という方がよっぽど残酷である場合も多いのだ。もちろん、無理しなかった結果起こる全ての問題を肩代わりできるだけの能力と覚悟のある人が「無理するな」と言うのであれば構わないのだが、ほとんどの場合はそうではない。無理をするしかない状況が何も変わらないのに、無理をするなという理不尽なことを言われても、「結局だれも理解してくれない」という絶望感がつのるだけだ。その場合は、「自分はなにもしてあげられないけど、がんばれ」と言われる方がよっぽどましだ。
「がんばってね」が残酷になるのは「がんばっているのに報われない」という文脈で苦しんでいる人に対してである。「報われない」というのは、自分の望む、今よりよいステージに進めないということだ。今よりよくならなくても、別に死ぬわけじゃない。だから「がんばらなくてもいいよ」と言ってしまってもいいことになる。しかし、今がんばらないと致命的なカタストロフィーが訪れるというシチュエーションで、やらなければならないことが大変で苦しんでいる人は、置かれている状況が全く違うのだ。要するに、その違いを把握する程度に踏み込むことすらしない無責任な立場で、苦しんでいる人に対して優しげな言葉をかけるという行為こそが、残酷なのである。
「だから、優しい言葉をかけるな」と言っているわけじゃない。携帯メールや2ちゃんねるやツイッターの3行コミュニケーション、その延長にある文脈の存在しない会話では踏み込めない領域に踏み込む努力をしていかないといけない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント