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間が悪い。

 忙しい時に限って、あらゆるイベントは最悪のタイミングで重なるもの。
 DVDの仕事の最後の音入れが当初今週木曜の予定だったのだが、別件で事務所から通常の歌物のコンペの話(しかもかなり大物のコンペ)がきて、その締切が金曜。直接請け負っている方の仕事は投げ出すわけにいかず、全然はかどってもいない状況なので、コンペに参加するとしても作業ができる可能性があるのは木曜の夜中だけ。そんなのでまともなデモができるわけがない。と思っていたら、今度は音入れのスケジュールが週末に延びるという連絡が。これは喜ばしいことではなく、むしろ週末までは手が空かないことを意味する。コンペに参加できる可能性がほぼ消滅。これはくやしい。
 こんな状況下なのに、現在うちのマンションで、オーナーの意向により全室のエアコンを交換する工事を部屋毎にやっている。事前の日程調整でうちは今日の予定だったのだが、とてもではないが対応できないので、昨日日程変更を申し出た。エアコンの真下にERECTAのラックを組んでおり、その上の物を全部どかしてラック全体を移動させないと工事ができないのである。自宅を仕事場にしていて修羅場を迎えている状態で、そんなことできるわけがない。そもそも他人を入れられるような部屋の状況でもないし。変更日はまだ調整していないのだが、工事予定が来週前半までであり、最後の方は工事の予定もつまっているようである。で、DVDの仕事が延びたため、この調整も微妙な状況に。先方(マンションの管理請負会社)も迷惑そうにしているが、別にエアコンを交換してくれなんてこちとら頼んでもいないのになんで頭を下げて調整せにゃならんのか、こっちも段々腹が立ってくる。
 そういえば、先日も、実家から東京に遊びに来る親戚の子供たちをTDLとジブリ美術館(笑)に2日連続で連れていく予定のまさにその日を狙い打って、コンペで決まりかけだった曲の手直しが入り、仮歌をお願いした友人も巻き込んでドタバタ劇ってなこともあったっけ。
 やはり、基本的に一人で、複数の全く異なるフリーランスの仕事と家事をこなしつつ、社会性も維持していこうとすると、どうしてもこういう無理が生じるものなのか...。(家事は今はこなせてないし・苦笑)
 とりあえず、早く山を越えて、秋晴れの天気を満喫したいものである。

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20品目の幕の内弁当2

050923
 自宅で籠って作業の日々が続くと、どうしても食事はコンビニ弁当中心になってしまうが、その中で少しは不健康でなさそうな気がするのがサンクスの「20品目の幕の内弁当2」。なぜ「2」なのかは謎。(プレイバックPart2みたいなもんか?) 魅力はなんといっても品数が多いこと。煮物や鯖が入ってるのも日本人としてはうれしい。これで520円というのはまずまずの価格設定である。本当に栄養のバランスがいいかどうかは分からないけど、トンカツ弁当とか食うよりは。
 いろいろあって現実逃避モード(苦笑)

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iTunesのスペックダウン

 Macユーザなので、自分の作品の管理はiTunesでやっている。iTunesでの管理の目的は
・24bitの、圧縮等による劣化のない作品のマスターデータの管理
・全てのデータをmp3に変換した物の管理
・劣化のない状態でのCD作成がすぐできること
である。

 現状、Logicで楽曲を作成する際のマスターデータは、全てSDII形式(.sd2)としており、そのままの形式でiTunes上でも持っていた。ところが、けさ作品をクライアントに仮送付するためにCDに焼こうとしたところ、意味不明のメッセージを発して焼けなくなっていた。どうやらiTunesを4.9から5.0(最新は5.1)にバージョンを上げてから、sd2からのCD作成ができなくなったらしい。今回はとりあえず聞いてもらうだけだったのでmp3からCD作って送ったが、最終的には映像への音入れの際(例のDVDの仕事である)にも音源はCDで持ち込むことになっている。マニュアルで確認しようにもまだ5.0のオンラインマニュアルは発行されていないようだし、この点についてのスペック変更はどこにもアナウンスされていない。仕方ないので、まずは事実関係の確認のため、銀座のAppleStoreのGeniusBar(←いつもこの名前を見ると虫酸が走る。自分のことをGenuisって、客商売としてどうよ)に足を運ぶ。

 1時間近く待たされたあげくようやく順番が回ってきて、店員に問い合わさせたが、やはり5.0からsd2→CDの機能がスペックから落ちているらしい。こちらとしては、何のアナウンスもないままいきなり梯子を外された形であり当然怒り心頭なわけで、代替手段の提示と、スペックダウンのアナウンスがないことの説明を求めたのだが、ろくな回答が返ってこない。あげくの果てには、iTunesのメニューから直接フィードバックメッセージを送れと言い出す始末。そんなことはそっちでやってくれと言うと、ショップからApple本社へフィードバックする窓口は開かれておらず、むしろ客から直接言った方が効果があるのでは等という訳のわからん返事。こっちからみると、直営ショップの窓口というのは、唯一顧客に直接開かれた窓口なのだが...。
 5.0のスペックでは、aiffやwavなら24bitからでもCDに焼けるので、今後もiTunesでデータ管理をするのであれば、マスターデータをaiffにするというのが一つの解ではあるのだが、既存の作品ライブラリ全てに対してsd2→aiffの変換を行う作業にかかる膨大な工数を考えると憂鬱極まりない。店員はiTunes上でもsd2→aiffの変換はできると言うが、そこでは16bitのaiffにしか変換できず、「マスターデータの管理」という目的から外れる。しかも、その作業のためには、毎回環境設定で「CDから読み込む際のフォーマット」をmp3ではなくaiffにするように変更する必要がある。24bitのaiffに変換するためには、Logicを使用するしかない。
 店員のもう一つの提案は、iTunesを4.9に戻すというものだが、データの管理という目的を考えれば、将来使えなくなる旧バージョンを使い続けるなんてのは何の解にもなっていないのは明らか。それに、バージョンを戻すには、一旦最新版を消してから再インストールすることになるが、それで現状のiTunes上に構築されているライブラリ情報を受け継げるのか聞いたところ「それはできない」(怒笑)。

 DVDの仕事で、今日中(って言うか日付が変わったのでもう昨日か)にあと1曲作るつもりだったのだが、こんな騒動で一日つぶれてしまった。明日は予備校の方の仕事が挟まってるし、時間が全然足りない...。先日のクライアントに聴かせる締切の時点では、結局予定の9曲には足りない8曲を出し、「基本的にはこれでもOKだが、できたらもう1曲パンチの効いた曲が欲しい」と言われているのである。6日ほどで8曲作ったことになるが、普段の1曲入魂の仕事とは違い、大量に曲を作ることに慣れていないので、仮眠を取る以外はほとんどMacの前という生活が続き身体もボロボロ。今回の経験は経験として今後はどうするかについてもいろいろ思うところはあるいのだが、まだじっくり考える余裕もない。来月になればもっと視界がひらけてくればよいのだけど。

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叫び(カテゴリーは「つぶやき」)

 明日までに3曲+ジングル3つ。間に合うのか?

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Lunatic

050917
 DVDのBGMの仕事で煮詰まってしまい、とりあえず腹ごしらえと深夜のコンビニに出かけたら、なんだか月がやたらきれい。満月はもうちょっと先みたいだが、そろそろ中秋の名月ってやつ? (携帯のカメラではこの程度にしか撮れなかった...)
 昔、平井和正のウルフガイシリーズを読んでたせいで、満月が近づくと、月から何か力がもらえるような妄想が沸いてくる。あくまでもウルフガイであって、セー○ー○ーンではないので為念。月よ我にアレンジのアイディアを与えたまえ!(←やっぱり完全に煮詰まってる)

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歌物と映像BGMと原稿書きと

 音楽活動とは別に、某専門予備校のあるジャンルの作問やら原稿書きの仕事をやっている。実際はこちらが現状生活の糧としてはメインだったりするのだが、両方の仕事で使う頭の方向性が全く違い、どちらもフルに頭を働かせないとこなせない仕事なので、切り替えが大変である。常にどちらか(または両方)の締切を抱えている状態なので、精神的になかなか休まることがない。
 先日、TVドラマや映像ソフトのプロデューサーや監督をやっている知り合いから、実用映像ソフトのBGM制作の仕事の話を頂き、経験値を上げるためにと引き受けたはいいけど、予備校の方の原稿書きが終わらず、ようやく昨日脱稿。夕べは、普段なかなか落ち着いて連絡が取れない友人と電話して気力を再チャージ、これから頭を180度切り替えてBGM制作モードに突入するところ。

 同じ作曲の仕事でも、普段やっている歌物のコンペのための作業と、今回のような映像関係の請負の仕事では、音楽的なアプローチもそうだけど、仕事の形態や時間の使い方、モチベーションの方向性等、何もかもが全然違う。歌物のコンペの場合は、いつも突然話が来てそこから3日から10日ぐらいで締切の短期決戦。その中で時間をやりくりして、いかにクオリティの高いデモを作ってアピールできるかの勝負であり、採用されなければ一切報酬もないが、採用されれば自分の曲を歌ってもらえて、CDを聴いてもらえて、という喜びが待っている。作品が採用されるまでは、コンペに作品を出せなくても、チャンスを1つ捨てるだけで、他者への責任はない。一方、映像関係の仕事は、半月から1ヶ月といった中期的なスケジュールをかたまりで確保する必要があり、仕事量も多く、その代わりコンペではないので少ないなりに(現実問題、笑っちゃうほど音楽への予算は少ない場合が多い)決められた報酬はもらえる(一般に「買い取り」である)。仕事の内容は、基本は映像作品のための部品を提供する裏方(映画音楽というような大きな仕事の場合はまた別だろうけど)。引き受けた以上、当然、締切をきっちり守り、仕上がるまでは相手方の要望に合わせ対応する責任がある。
 歌物の作品作りを活動のメインと考えるなら、映像関係の仕事を受けるということは、その仕事をやっている間のコンペを事実上全部あきらめないといけないという辛さがある。最終的に音楽だけで生計を立てることを考えると、歌物メインでやるためにはご指名で仕事がもらえるぐらいに実績を積まない限り難しいが、一旦映像方面の仕事をメインにしてから歌物の方のチャンスを伺うと言っても、そもそもコンペに参加すること自体難しい状況になるのは目に見えている。音楽以外の仕事との配分も含め、今後どういう方向に足を踏み出すのか、もしかしたら今大きな分岐点に差しかかっているのかもしれない。歌物メインでやりたい気持ちは強いのだけど。
 ともあれ、とりあえず今回はまず経験。しばらくは色々もがいてみましょ。

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コツ通り

050912
 去年秋より、東京の川の手方面に住んでいる。台東区と荒川区の境界付近。別に「下町に住みたい」と思ったわけではなく、部屋の広さや間取り、交通の便、予算等で、都内中を探した結果、ここに手頃な物件があったというだけである。でも引っ越した後、自転車で近所を走り回るようになってから、濃い歴史のあるこのあたりの土地柄も面白いかなと思うようになってきた。
 CDレンタル屋や、100円ショップに用がある時は、南千住駅前のLaLaテラスに行くのだが、南千住の旧メインストリート(吉野通り)を、通称「コツ通り」と呼ぶらしい。実は、この南千住の駅前は、江戸時代は刑場として知られていた。「コツ通り」という名前は、地面を掘ったら人骨がザクザクという所からきたという説と、「小塚原刑場」の名前からきたという説と大きく2つあるようだが、おそらくどちらも本当なのだろう。「小塚原で、お骨が出るからコツ通り、ってなもんでェ」ってなもんである。
 南千住に刑場があったことを認知したのは、先日京極夏彦「続巷説百物語」を読んだ時である。この中の「狐者異」という短編で、主人公が「不死身で殺しても何度も生き返った」という噂の悪党の晒し首を見物に行くのだが、浅草方面からの道程を読み進めていくと、どうもこいつはうちの方向に向かっている(笑)。結局そいつはうちの近辺は通過していったのだけど、吉原があり、神社仏閣がそこら中にあり、そして仕置場がある、ほの暗い歴史がふと身近に感じられた瞬間である。
 「コツといえば千住」という話は、立川談志師匠の「新釈落語咄」で発見。落語ってのは前から気になっていたので、つい手に取った本なのだが、江戸落語の登場人物(熊さんや八っつぁん)たちが住んでいた舞台というのがまさにこの近辺なので、うれしくなると同時に、「彼らはこの狭い地域以外の者は田舎者だと思ってたのかな」と、ちょっと意地悪な見方もしてしまう。この本、なぜか「新釈落語咄」と「新釈落語噺その2」となっていて、「咄」と「噺」で字が違う。なんでだ?
 それにしても、商店街に「コツ通り」なんていうある意味不吉な名前をつけてしまうあたり、江戸っ子ならではの斜に構えたセンスが感じられて面白い。

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作詞者として。

 昨夜は、某アニメの10月から切り替わるEDのレコーディングに作詞者として立ち会う。現場の仕切りは基本的に作曲者の方がやっており、当初作曲のコンペに参加した私としては、「自分がそこのポジションにいたかったなあ」と思いつつも、いろいろ勉強させて頂く。こういう現場では、作詞者は本当に立ち会う以外ほとんど何も仕事はないのだが(笑)まあ、それも経験。
 本業は作曲です。念のため。
 歌い手さんは、小中学生の女の子4人組(これでわかる人にはわかってしまうかな)。もはや親御さんが私より年上っていう世界(苦笑)。それにしても、皆さんちゃんと鍛えてらっしゃる。難しいリズムもきっちり取れるし。楽しく元気な曲に仕上がったんじゃないかな。

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5対4って...

 Jリーグ発足と同時にサッカーを見るようになったクチである。当時はいわゆるにわかサッカーファンだったわけで、一時のマイブームで終わるかと思いきや、例のドーハの悲劇(あの瞬間、会社の寮のあちこちの部屋から悲鳴やうめき声が聞こえてきたものである)で強烈なトラウマを受けて以来、日本代表の試合だけはほとんど欠かさず見るようになってしまったという、これまた典型的な「日本代表ファン」のパターン。それでも、なんだかんだと12年も見続けてきたのだから、少しは目も肥えてきたのだろうか。(←たぶん、ただの錯覚)
 しかし、このジーコのチームは、未だに強いのか弱いのかよくわからん。まあ、今日のホンジュラス戦は台風による強風っていう要素もあって乱戦になったのだが、失点は台風とあんまり関係なかったような...。ワンサイドゲームならともかく、両チームで9点も入って1点差って、野球じゃないんだから。勝ってよかったよ、ホントに。

 今度のW杯は、心情的には小野と高原と中村の大会になってほしい気がする。特に小野は、一番サッカーの楽しさを体現できるはずのキャラクターなのに、なぜか全ての悲運を背負わされてる感じで。高原も、今度こそ本番直前に再発ってのはナシで頼むぞと。
 でも本当は、ひそかにねずみ男遠藤を応援してたりもするのだが、なんでボランチこんなに多いんだ? 今日の試合なんか見ると、結局中田英も、中村がいる時はボランチに入るのが一番落ち着く気もするし。かと思うと、はっきりいってそろそろもういいだろうと思う三都主の所に代わりがいない...。
 ドイツ行きの23人、どうなるんだろう。

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栗ごはん

050902
 気がつけば、もう9月。今日も晴れてて外が気持ち良さそうだったので、遅いランチを食べに近所のデニーズへ。近所のと言っても、一番近い荒川公園店はいつも騒がしくて落ち着けないので、デニーズに行く時はいつも軽い運動がてら自転車で西日暮里店まで行くのである。ここなら混んでる時間帯でなければ、ノートパソコン持ち込んで仕事してても大丈夫。(セットドリンク分の元を取るぐらいしか長居はしないので、ご容赦を。)
 天気はいいけど、さすがに8月程暴力的な日差しでもなくなってきたので、ちょっと初秋の気分をということで、「海老かき揚げせいろ蕎麦と栗ごはん」に「有機豆腐サラダ」を付けて。一見ヘルシーそうな錯覚を覚えるけど、よく考えたら蕎麦+御飯でカロリー過多(笑)。「初秋彩り御膳」の方にすればよかったかな。

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子供だましという言葉は子供を馬鹿にしてる

 昨日、久々の作曲のコンペで作品をなんとか提出したので、別件の仕事を棚に上げて、映画を観てきた。天気もいいし。生活時間が思いっきりずれてきた(昼夜逆転からさらに後ろにずれて、昨日は午後5時頃就寝、夜11時頃起床)ので、ここで一気に一回り遅らせる作戦も兼ねて、渋谷まで出かけて朝10時の回の「妖怪大戦争」鑑賞。
 最近、京極夏彦をよく読んでる私としては「姑獲鳥の夏」は観ていたのだが、その京極氏や宮部みゆきもプロデュースチームとして参加してる「妖怪大戦争」も観なきゃと思い、楽しみにしていた...のだが...映画ってこんなものでしたっけ?
 誰も読まないとは思うが、以下ネタバレあり。
 別に、ハリウッド映画のように金をかけなきゃいかんとも思わないし、重たいテーマがないといけないとも思わない。大仕掛けのクライマックスでスコーンと落とす、そういうのもアリだと思う。でも、ああいうオチ(小豆の件ね)は、その場でリアルタイムに理解させて笑わせないと、全く意味がない。ジイジの話が伏線になってると言うつもりなのだろうが、「だからどうなのか」という部分が意味不明である。あの「ヨモツモノ」によって、妖怪と廃棄物の機械を合体させていたのだから、加藤と小豆が合体してしまうという「蝿男」方面のオチになるのかと期待して見ていたのだが全然そうではないし、そもそも加藤があそこに飛び込んでどうしようとしていたのかが判然としない。加藤自身も「機怪」になろうとしていたのか、それとも、「ヨモツモノ」本体と合体しようとしていたのか。合体ネタでないとしたら、小豆の力で怨念が浄化されたとでもいうことなのか(それなら最初から小豆洗い最強)。なんであのタイミングで外の妖怪たちが喜んでるのかもさっぱり判らないし。
 これが、シリアスなドラマで深いテーマに関わる部分であれば、あえて疑問を残してひっかかりを作ってということも理解できるが、ここの部分は「脇役の『小豆洗い』がこぼした小豆の1粒によって世界が救われてしまう」という、映画のクライマックス全体を賭したギャグであり、その場で笑えなかった時点で映画としてはアウトである。ここで全てがぶちこわし。
 京極氏も宮部氏も好きな作家なので、あんまり考えたくないのだが、作家中心のプロデュースチームが、小説と映画の違いを消化しきれなかったのではないかと勘ぐってしまう。小説の場合、その場で何が起きているのかを地の文で言葉で説明することができる。しかし、映像の場合、台詞以外に言葉はない。映像から感覚的なことを読み取らせることは出来るかもしれないが、たとえ説明的な映像であっても、それを理解するための背景の共通理解が確立されていなければ、因果関係等を理解させるのは難しい。ここまでは映像だけで伝わるが、ここから先はもう少し説明が必要という線引きが正しくできてない気がする。よくあることだが、制作サイドの人間は、どういう設定でどういう内容を伝えようとしているかを知っているので、客観的に見ているつもりでも、どうしてもその予備知識が邪魔をして適切な判断ができない場合がある。もちろん、それはプロの仕事としてのエクスキューズにはなりえないのだが、どうもそういう次元の問題に思えてならない。
 あと、最後のつまらない大人になってしまったタダシのシーンは全く不要。大人の観客が、今の自分と重ね合わせて、帰ることのできない純粋な子供の頃へのノスタルジーを感じさせる、とかなんとかいう意図なのかもしれないが、単にいやーな気分になっただけ。冒頭と最後の方に出てくる「真っ白な嘘」の件も、全然この映画の内容と関係ない。この辺も、作品として消化しきれないままという感じ。
 なんだか、ボロクソに書いてしまったなあ。えっと、子役の主役神木隆之介クンのファンの女性とかなら、彼のかわいさだけで十分楽しめるんでしょう。あと、小ネタで笑えるポイントもいくつかはあった(その他大勢の妖怪の中に、無理やり「姑獲鳥」がいたりとか)のですが、それだけ。なんだかすごく残念な気分。

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