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ホッケンハイムリンク by Google Earth

 さっきF1を見ていて、ふと気になってGoogle Earthでホッケンハイムのサーキットを探してみた。いろいろ検索してHockenheimの場所を探して、ようやくそれらしい物を発見したが、どうもサーキットの形状が違う。どうやら、2002年以降コースレイアウトが大幅に変わったらしく、衛星写真が撮影されたのはそれ以前だったようである。Google Earthではそんな以前から蓄積された画像データを使っているんだということと、Hockenheimはこんな無茶なロングストレートがあるコースだったんだという2点に感心。(Google Mapではこちら。)
 シューマッハはしぶとくがんばっておりますなあ。チームAguriはちょっと見てて辛い。琢磨の選択は正しかったのかなあ。

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ぐるぐるぐーぐるあーす

 Google Earthを入手した。いつの間にか世の中すごいことになってるんですね。(タモリ倶楽部を見て知ったのは内緒。) ちゃんとMacOSX版もあるのもえらい。うちはまだTiger(最新MacOS)を導入していないので、建物等の立体表示版が見れないのは残念だが。実は、Googleのサテライトマップもさっきまで見たことがなかったので、今浦島の気分である。
 ただ、日本語版がないだけあって、日本の情報が結構いい加減みたいで、うちのそばに謎の「Ichikawa」という都市名のマークが登録されているのだが、その場所はどうみても足立区の千住柳町である。恐らく、千葉の市川市のことだと思うのだが、情報を見ると「Tokyo Japan」となっている。まあ、よく見ると川崎市も東京にあることになっているようだが...。
 ともかく、当分これで遊べそうである。面白いけど、衛星写真でこの精度で撮られているというのは、よく考えると恐ろしくもある。

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ボヤ騒動

 先日、マンションの同じ階で、ボヤ騒動があった。煙が漏れてくる部屋の住人は不在で、消防隊が隣室からベランダ伝いで進入したのだが、結局コンロの火を消し忘れて外出し、鍋の中が焼け焦げて部屋に煙が充満したということらしく、幸い出火には至らなかったようだ。しかし、建物の外からわかる程は煙も漏れていなかったため、部屋の前を通った人がいなければ発見はもっと遅れていた可能性もあり、危険な状況であったことは確かである。
 マンションの外通路では、魚を焼くような焦げ臭いにおいがして、ちょっと煙たいというぐらいであり、そんなにはっきりとは煙も見えなかったので、よく観察しないと煙の元がどの部屋かもわからない状況であった。最初に異変に気付いた人が連絡したのは、マンションの管理会社で、消防には管理会社の方から連絡が行ったようである。ただ、待機中の住民が共有していた情報は「管理会社には連絡済みで、その管理会社の者が今こちらに向かっているが、どれくらい時間がかかるかは分からない」ということだけであり、肝心の消防には連絡したのかどうかというあたりが曖昧なまま、どうも要領を得ない。もう一度連絡するか、それとも直接119番に電話すべきかと思っているうちに、消防車が来た。消防に連絡が行ってるという情報が一切出ていなかったにもかかわらず、消防車の音を聞いてこのマンションのために来た消防車だと何の疑問も抱かずに信じてしまっている人々を見て、少々そら寒い思いがした。

 非常時において重要なのは、必要な情報を必要な相手に的確に伝えることと、今現在どういう手が打たれているかという正確な情報を全員で共有することである。どこまで手を打っているかがわからなければ、次に何をすべきかもわからない。今回のようにそもそも非常事態なのかどうかも把握しにくいような状況では、だれかが強力なリーダーシップをとって行動するというような場として熟成しにくいので、情報の交通整理をするのも難しいが、まずは個々が様々な局面における「情報の共有」ということについてもっと高い意識を持っていれば、少しは混乱を避けられるはずである。
 これは、必ずしも非常時だけの話ではない。普段の仕事においても、今の状況についての情報を共有しながら仕事を進めることの重要性を理解していない人というのは非常に困った存在だったりする。ただ何かをするだけではなく、自分が今何をしようとしているかを周りに伝えながら何かをするということが大事なのだと思う。

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日本以外全部沈没

...「日本沈没」と聞くとこれを思い出してしまう私は、日本SFの良き時代を横目で見ていた世代である。

 さて、今日はなんとか天気が持ちそうだったので、錦糸町で「日本沈没」を見てきた。いやな予感はしていたが...これは決して「小松左京原作の『日本沈没』」を期待して見てはいけない。日本が沈没するというアイディアとタイトルだけを拝借した似ても似つかぬ全くの別物である。恐らく、小松左京自身も、この映画に関しては一切コメントしていないのではないかと想像される。あの重厚な小松作品を下敷きにして、どうすればこんな安っぽいセカイ系の映画が出来るのか、不思議で仕方がない。まあ、原作を忘れてお気楽に見るハリウッド映画のつもりで見れば...今度は日本映画の演出のダサさが目に付くわけで(苦笑)。
 ともかく、「日本沈没」は、全く救いのない設定だからこそ意味のある話であって、沈没を途中で止めて明日への希望なんか見いだしたら、なんの意味もないのである。小松左京も草葉の陰から泣いておるよ。(...って、小松左京先生はまだ生きておられますが。)
 原作を知らない人が、スペクタクル映画として楽しむ分には、そんなに悪い選択ではないので、念のため。ただ、主役の2人の演技はあまり好きじゃない。とりあえずヒロインは大地真央ということで納得しておこう。

 「それ原作でも原案ですらないだろう」と言えば、テレ朝の「富豪刑事」もそうである。これも、一昨年の最初のシリーズは、まだ筒井康隆の原作のストーリーを下敷きにした部分もあり、ホリプロタレントでもある筒井御大も役者として出演したりしていたのだが、さすがに「デラックス」の方は見捨てた模様。最初のシリーズは、「あの」富豪刑事をドラマにしてしまったというインパクトと、御大の神通力により、深田恭子のさむーい演技がギャグとしてうまく昇華していたのだが、今回のは、ただただ寒いだけで、シナリオもボロボロ。あれは、御大としては「筒井康隆原作」という文字を外して欲しかっただろうなあ。

 で。さっき「日本以外全部沈没」で検索してみたら、これも映画化されてもうすぐ公開らしい(笑)。このタイミングで「日本沈没」とぶつけてくるあたりのゲリラ的なやり方が、いかにもB級映画っぽくてよろしい。ただ、「日本沈没」の方が原作とかけ離れたものになっているので、肩透かしを食らった格好かもしれないが。これには、筒井御大も出演しているようである(爆)。

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ならずものたち

 ジダンとマテラッツィの間に何があったのかがわからない以上、あの件については何も言えない。ただ、表彰式におけるイタリア選手の態度は、いかに歓喜にあふれているとはいえ、あまりにもお行儀が悪い気が...。世界中の国々が渇望し、自らが手にしたW杯優勝というものに対する敬意が一切感じられないのである。4年前のブラジルも、そんなにお行儀がよくはなかったかもしれないけど、そこにあったのはあくまでもサッカーに対するリスペクトに根差した純粋な喜びの表現だったと思う。イタリア選手の喜び方を見ていると、神聖なものが侵略者によって陵辱されているようなそんな不快感を覚えるのである。
 国民性の違いと言ってしまえばそれまでだし、それはそれで真実なのだろう。そこに過剰反応してしまうのが危険なのはわかるが...。日本中がかの国の理解し難いメンタリティに振り回されている今、自分も異質な物を受け入れにくい精神状態になっているのかもしれない。危ないなあ。

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頭突き...

 ジダンに何が? こんな終わり方かよ(絶句)

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聞こえねーぞ。

 会場の歓声に埋もれて解説が全然聞こえねーぞ>フジテレビの決勝中継の音声担当。バランスの問題なのか、それとも実況席のマイク自体が歓声を拾ってしまってバランスが作れないなら、もっとオンマイクで話すように指示しろっての。プロの仕事とは思えない。
 と、ここで後半終了。

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物語は終わらない

 中田英引退。日本中がサッカーを見るようになったのはJ発足からだけど、その時既に三浦知はキングだった。そのキングはまだ現役を続けている。その後頭角を現し、一気にカズよりもさらに高みを窺ったヒデは、ピッチ上で首を振っている姿同様、あまりにも遠くが見えているがゆえに、その場にこれ以上留まることができなかった。
 「引き際の美学」という言葉が踊っている。それはマスコミが勝手に言っていること。本当はそんなきれいに割り切れたものではないだろう。それでも、その決断を自分自身が納得できるのは、本当に可能性の限界までチャレンジできた者の特権。

 それにしても。日本サッカー界は、J発足以降、そして、日本中が「サッカー日本代表ファン」という病にかかって以降、初めての大きな喪失感に見舞われることになる。カズやゴンがしぶとく現役を続けてくれたおかげで、今までシンボル的存在をいきなり失うということに直面することはなかった。(ラモスの引退はあったが、あれはサッカー選手としての天寿を全うしてのもの。) だからこそ、全国紙朝刊1面トップで当たり前のように1選手の引退を報じているのである。今回のW杯で厳しい現実を突きつけられたこのタイミングでこの空気はいかにもマズイ。「所詮日本人には向いていなかったのだ」「中田英みたいになんてだれもなれっこないんだから」という諦念により、夢から醒めたようにサッカーそのものから国民の興味が離れていく、そんなシナリオを演じてはならない。終わったのはあくまでも1人の選手のサッカー人生。たとえそれがいかに偉大な選手であったとしても、その墓に副葬品として日本のサッカー界全体を埋めてはならない。

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判定基準の客観性

 ルーニーの一発レッドでイングランド退場。どういう判断基準でレッドだったのかわからないが、もし故意の報復行為と判断したというのであれば、非常に疑問が残る。確かに、タイミングとしてはタックルを受けた直後に相手の股間をふんずけているが、因果関係としては、タックルを受けたことでバランスを崩したために、着地した足がたまたま股間に入っただけにしか見えない。そこに故意性があったかどうかなんて、どうして審判にわかるのか。故意であろうとなかろうと股間を踏んだら一発退場という判断基準なら、厳しすぎるとは思うが理解はできる。審判は、判定理由を明らかにすべきであろう。もし、故意だと判断したのであれば、それは明らかに審判の根拠のない思い込みによる横暴である。
 前回大会の時も思ったのだが、判定基準が未だによくわからないルールに「シミュレーション」というものがある。ペナルティエリアでファウルを受けていないのに倒れて見せて審判を欺いた場合にイエローカードが提示されるというものである。相手との接触ないし接触しそうな状況で倒れた場合、いろんなケースが考えられる。
(1) 相手との接触で倒され、相手のタックルはボールに触れる前に足にかかった
(2) 相手との接触で倒されたが、相手のタックルは先にボールに触れていた
(3) 相手との接触を避けるためにバランスを崩して倒れた
(4) 相手と接触もなく、バランスも崩していないのに、故意に倒れてみせた
 シミュレーションというルールの趣旨を考えれば、ファウルになるのは(4)の場合か、(3)の場合に倒れた後「倒された」とアピールした場合であろう。しかし、実際には(3)か(4)かなんて、審判にわかるはずがない。倒れそうもなくても足がもつれて倒れることもあるだろう。そう考えると、シミュレーションが取られるとしたら、接触がないのに審判にPKをアピールした場合に限られるはずである。しかしながら、実際には倒れただけで何もアピールしなくてもイエローカードが出されるシーンがよく見かけられる。そんな意味不明なジャッジを認めたら、激しいタックルを受けても自分が怪我をしないように逃げてはいけないということになってしまう。
 今回の大会もジャッジのために荒れた試合がいくつもあるが、結局それは審判に判定できるはずのない故意性等を無理に判定しようとするから、客観的な判定基準も作りようがなく、理不尽性だけが浮かび上がるのである。FIFAはもう一度頭を冷やして、客観性という観点でファウルの基準を見直した方がいい。誤審が多発しているというが、判断のしようのない判断を繰り返さないといけないことによる負担が重すぎることが原因で、基準が明確な判断においてもジャッジミスが発生しているのは明らかである。基準が曖昧だから試合が荒れ、試合が荒れるからさらに曖昧な基準を増やすという悪循環を断たないと、いい加減国際的なスポーツとしての適性に疑問が生じることになる。

...と書いてるうちに、壁に入ったロナウドの手にボールが当たったと言って、ロナウドにイエロー...。なんだこの審判?

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