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「Queen」

 久々の映画。日比谷シャンテ・シネで「Queen」。マッチョなボーカルのバンドではなく、英国の女王様のお話。
 現代のイギリスにおいて王室がどう見られているかがよくわかって面白く、王室ゴシップ好きのイギリスにしては、エリザベス2世の内面について(憶測とは言え)好意的に深く描かれている。...が、なんだろう、この違和感は。その違和感の主な原因は、描く側と描かれる側の立場のあまりの不対称性にあるのだろう。女王は自らが女王であることを選べない。自らの考えを自由に述べられる立場にない。そのような立場にまさに今現在いる人物について、自由な立場にいる者が(それがどこまで当たっているかは別にして)内面描写も含めここまで徹底的に王室の側から見たかのように描いてしまうという所に、違和感を覚えるのである。これがフィクションであれば、女王役の女優の演技も素晴らしいし、エリザベス2世側に感情移入して見ても非常に興味深いのだが、ダイアナ元妃の死という実際の出来事に対する王室の対応の舞台裏にあったかもしれない葛藤の物語を、まだ健在の女王本人の監修なしに、あたかも実話であるかのように描いてしまう/観てしまうというのは、表現者/鑑賞者のモラルとして許されるべきことなのかどうか、その1点が最後まで引っ掛かった。面白みには欠けるかもしれないが、ドキュメンタリーに徹するか、さもなくば、設定を変えてフィクションに徹するか、どちらかにすべきだったのではないかという疑問がぬぐい去れないのである。若くして女王となり、近代化による世の中全体の価値観の変化に翻弄されながらも気高く君臨しているエリザベス2世という、実に興味深い人物を描きたいという圧倒的な誘惑が存在したということは、大変よく理解できるのだけど。
 面白いか面白くないかと言われれば面白い映画である。しかし、その内容は、あくまでも眉につばをつけて読むべき、東スポの記事と同レベルのものであるということは決して忘れてはならないと思う。
 それにしても、エジンバラ公のあのひどい描かれ方は、アリなんですかね?実際にも不用意な発言の多い人物だという風評はあるようだけど...。

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いつみても波乱万丈

 朝、ふとTVをつけたら、日テレ「いつみても波乱万丈」に尾崎亜美さんが出演していた。ちょうど出かけようとしてたところだったので、途中から録画したものを今視聴。ファンとしてはよく知っている話も初めて聞いた話もあり、いろいろ思うこともあったのだが、それはそれとして。たまにしかTVに出ないのに、出たらかならず「オリビアを聴きながら」を歌わされるっていうのは、本人としたらどうなんだろう。ファンとしては、ちょっとくやしい感じも。
 そういえば、「オリビア〜」の、「Making good things better」というところ、杏里の方はわからないけど、亜美さんが歌ってるのはいつも「Making goodness better」みたいに聞こえるのは私だけ?

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国際子ども図書館

 予定が変わって時間に余裕ができ、週の当初の天気予報も外れていい天気なので、なにかいい展示をやってないかとノープランで上野公園に出掛けた。国立博物館でダ・ヴィンチについての特別展をやってたので、行ってみると、明日までということもあり長蛇の列ができていて、挫折。代わりに、前から気になってた「国際子ども図書館」に行ってみた。

070616_1 3階の「本のミュージアム」で今やっている展示は、「大空を見上げたら−太陽・月・星の本」というもの。太陽や月等にまつわる伝承や神話を分類し、それを題材にした物語や絵本が展示されている。基本的にガラスケースの中なので、手に取ることはできず、特定のページを開いて展示してあるもの以外中を見ることはできないので、本の雰囲気を眺めるだけなのだけど、子供向けの本って、内容はともかく、本の作りが自由でいいなあ。
 1階には、子供向けの本を集めた閲覧室がある。いろんなジャンルのさまざまな事象を子ども向けに解説した本がたくさんあるのを眺めながら、子供向けと言っても、自分も知らないことはいっぱいあるのだろうなと思う。歴史や地誌などのように知識を蓄える方向の勉強からはずっと逃げ続けて、数学やソフトウェア等「考える」事に重きを置いた世界に偏って生きてきたので、思いのほか物を知らない。この部屋の本を片端から読んでも、結構楽しいかもしれない。

 ただ、今日のこの部屋でのお目当ては絵本のコーナーである。子供の頃に読んでいた絵本がないかと眺めていたら、目に飛び込んできたのが「こねこのぴっち」。いやあ、この絵のテイストとか、無茶苦茶懐かしい。ぴっちがうさぎ小屋に閉じこめられて夜を迎えてしまい、金網の外で夜の動物達が目を光らせてるところの絵なんて、子供の頃本当に怖かったんだろうな。定番の「ひとまねこざる」とかも思わず全部読んでしまった。他に、非常に漠然とした物語の印象だけが残っているものがあって、それらしいものを探したのだが、どうやら同じ作者の2つの絵本が記憶の中でごっちゃになっていたようである。レオ=レオニという人の、「スイミー」と「フレデリック」(翻訳は谷川俊太郎)。断片的な記憶では、「小さい魚が主人公」「『アリとキリギリス』の逆のようなおはなし」というものだったのだが、「スイミー」の主人公が小さな魚で、「フレデリック」の主人公は、冬ごもりの準備の時に働かずに蓄えたイメージで冬ごもり中のみんなの心を豊かにするのねずみであった。たしかにどちらの絵本にも記憶にある場面がいくつかあったので、両方とも子どもの頃に読んだのは確か。大人の目線で読むと、結構説教臭かったり、押しつけがましさが鼻につくのだけど、多分子供のころは、作者の意図とは関係なく、ただその主人公たちがありありとそこにいたのだろうな、と思う。

070616_2070616_3 1階には、テラス席のあるカフェテリアがあるので、心地よい陽射しを浴びながらちょっと読書タイム。持っていた本が、その場にそぐわない「後巷説百物語」だったのはナイショ。(まあ、上野の森だと考えれば、別にそぐわないこともないか。)
 いつもとは違う空気を呼吸できるスポット。もちろん、騒がしい子供がいる可能性もあるけど、そもそも子供が主役の場所なので頭にもこないし、今日みた限りではちゃんと本の好きな子供たちが中心で、雰囲気は悪くない。

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いい天気。

070612 昼間っからジムに行った後、あまりにも天気がよかったので、久々に荒川岸をサイクリング。古い携帯で撮った画像を古いプリンタで安いコピー用紙に印刷しただけでも、こんな風に飾るとちょっとそれっぽくなる。
 明日まで晴れてその後はそろそろ梅雨モードらしい。明日も出掛けよう。

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なんとか完走。

 ここのところ毎年、12月頃から約半年、某仕事で人にも会わず自宅缶詰めで、気がついたら初夏から梅雨ってな感じで、人生の半分棒に振ってます。

 が、とにもかくにも、先程提出した成果物で、ようやく今期終了。これからしばらくはちょっと心と身体のケアをしてから、ぼちぼち動き出したいものです。まずはこれから1時間仮眠をとってから、コロンビア戦+ビールあたりで一人打ち上げ。(なんせ、例によって30時間ぐらいダラダラと仕事してたので、寝ないと。)

 それにしても。去年までは、それでも多少は平行して別の活動もしてたのだけど、今期は先方も完全に丸投げになってしまい、本当に他になんにもできなかったにゃー。ちょっと本気で1ヶ月ぐらい完全休養しようかな。

 さて、寝よ。

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サマータイム

 前からずっと引っ掛かっていて、これやったら二千円札発行を超える愚挙だと思っていたのが、サマータイム導入の話。これに関して、小泉前首相が非常にまともなことを言っている。この人の発言にもろ手を挙げて賛成するのは初めてかもしれない。今ネットで見かけた毎日新聞の記事。

「『感心しない。時計(の設定を)変えるのが面倒くさい。国が強制的に夏になったら時間を早くするより、(希望する企業が)勝手にやってもらったらいい』と異論を唱えた。」

 本当に「面倒くさい」「勝手に」というあたりを、一字一句このまま言ったかどうかは知らないが、内容ではなく言葉のトーンだけで読む人には間違った印象を与えるような書き方の記事ではある。でも、内容をよく考えればまさにその通りだし、そういうことも考えずに「サマータイム導入で温暖化対策になってハッピー」とか言ってる連中は気が触れているとしか思えない。

 まず、自分の部屋にどれだけ多くの「時計機能を内蔵した物」が存在するかを考えてみて欲しい。気が遠くなるはずである。また、時刻という概念が、いかに様々な局面で、法的な条件の構成要件となっているかという問題もある。その解釈の混乱等を考えたら、また気が遠くなる。でも、事態はさらに深刻なのである。まず、あらゆるソフトウェアがまともに機能しなくなる可能性を帯びる。OS自体がもともと米国のサマータイム等に対応できるように作られているのに、その機能とソフトがリンクしておらず、ソフト自体でへんなパッチを当てていろんなところでコンフリクトが起こる、とか、切り替えのタイミングでの重複でバグるとか。その混乱に乗じたサイバーテロを考える奴もいるだろう。いずれにせよ、あらゆるソフトをバージョンアップしなければならないことだけは事実。もちろん、そもそもソフトを入れ替えるなんて概念の存在しない機器については、毎年全て時刻を手動で変更するか、物によっては使い物にならなくなる可能性すらある。

 企業が足並みを揃えて始業終業時刻をシフトするのは、なんら問題ない。それで温暖化対策になるなら、それはハッピーだろう。問題は、その実現のための手段。国策として挙げたいならば、「勝手にやってもらったらいい」の部分を、国が音頭をとって奨励すればいいだけの話。日本中に何十億も存在する全ての「時計機能」の時刻をシフトさせる等という妄想を抱くのは、今すぐやめて頂きたいものだ。

 「空白の1時間」に、サイバーテロどころか本当のテロが起きてもしらねーぞ。システムの不整合で、膨大な重要データが損失してもしらねーぞ。

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