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仕事、納めてません。

 年末年始、今年も年賀状も書かず、頂いた方にご挨拶のメールも出さず、ご無礼をしております。2008年最初の仕事の締切(今週金曜)まではなんとも気持ちの余裕がなく...。

 やるしかない仕事の締切と、やるかやらないかは自分次第の仕事の締切が同じ日なのだが、去年一年間棒に振った後者の方もそろそろ復活させなければと思いつつ、間に合わない予感バリバリのままここまで来てしまった。どちらも、仕事の性質上、平行して進めるなんて器用な真似はできず、1週間単位ぐらいで集中してやらないとやっぱり無理! そうすると、後者(要するに作曲のコンペですな)をやるには、前者の仕事を常に1〜2週間は前倒しの状態を保っていないといけないのだが、今年もすでに締切間際自転車操業状態が約束された日程になってしまっている。来月からは、もう1つ別の重たい仕事(超低報酬、準備大変、未知の領域、断れない、楽しくない、の5重苦の謎の雑誌連載)も始まるので、軌道に乗るまでは、作曲方面の復活はもう少しおあずけにして、それ以外の仕事に集中して極力前倒しの日程を稼ぐ方が得策かもしれない。ここのところ、いろいろ起伏が激しいので、なかなか曲を書ける精神状態に持ち込めないということもあるし。(そういう状況だからこそ、自分にムチを入れるために曲を書きたいという思いもあるのだけど。)

 というわけで、年末年始は、元日に近所をさまよったのとDVD3本見た以外は、気ぜわしく、かつ、効率悪く、ダラダラと仕事をしているうちに過ぎていったのであった。まあ、今年は正月はなかったものということで、そろそろ肚をくくるか。1年後には万事が少しずつでも好転していることを願いながら。

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「ピアノの森」

 もう1枚借りていたDVD、映画「ピアノの森」を観賞。無防備に観ていたら、なんだか涙がぼろぼろ出てきてヤバい(笑)。映画は、物語が始まったばかりのところで終わるのだけど、だからこそこれから始まる彼らの本当の物語への予感に震えるのだ。無自覚な天才の目覚め、かつて翼を失った者のその天才に賭ける想い、努力の秀才とその天才の出会いと葛藤、どれも普遍的なテーマではあるけれど、それらがギュッと濃縮されて、美しいピアノの音色と結びついて生まれた珠玉の作品。
 多分、映画で描かれた着地点あたりが、彼らにとって一番美しくある意味一番幸せな季節だろう。そのはかなさに思いを馳せてオジサンはまた涙するのだ。そして思う。一ノ瀬海のように生まれたわけではなく、雨宮修平のように生きてきたわけでもない自分でも、もう一度自分のことを好きになって、まだ前に進むことができるだろうか、と。

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元日の浅草

080101_1 せっかくご近所なので、たまには初詣にでも行くかと思い、自転車で浅草寺へ。
 がしかし。
 ここは何の覚悟もなく元日に来るような場所ではなかった...。
 微動だにしないありえない長さの参拝者の列が、仲見世通りから溢れて吾妻橋付近まで続いている。さすがに、これに並ぶ根性はなかったので、結局もんじゃコロッケを1個食っただけですごすごと退散。
 後で調べてみたら、2006年の初詣参拝者数は、全国7位の220万人だったそうで...どうやってそんな恐ろしい人数があの狭いエリアに集結するというのだ。そもそもどういう集計なのかは不明だが、仮に三が日だけをカウントしたものだとすると、1秒あたり平均約8.5人が雷門をくぐったことになる(深夜も含め)。あの行列の進み具合を考えると、とてもそんなペースでは動いてなかった気がするのだが、私のように列に並ぶのもあきらめて退散する者も含めると、そのくらいになるのだろうか。

080101_2 列に並ぶ根性が涌かなかった理由はもう1つある。こういう人が集まるところでは、一般に、拡声器を使った警察の誘導がうるさくてそれを延々と聴かされるのが苦痛で萎えることはよくあるのだが、ここでは警察の誘導自体はそんなにうるさくはなかった。ところが...である。その代わりに、キリスト教系の団体による拡声器を使った啓蒙活動?(そんなきれいな言葉は使いたくもないが)の声が、暴力的に歩行者天国エリア全体を支配していたのだ。「福音の言葉」(か呪詛の言葉かわからんが)を書いた黄色いのぼりとともに拡声器を掲げた連中が大量に配備され、そいつらが組織的に街頭放送を行っている。その空間にいる何万人もの人々は、ほとんどその街頭放送の音しか聴いていない状態である。しかも、長蛇の列に並んでいる人たちは、逃げ場もなく、何時間もその状況の中に監禁されていることになる。これが暴力=テロでなくて何であろうか。(ちなみに、こいつらと、列の誘導以外には、正月早々拡声器ででかい音を垂れ流すような無粋な連中はいなかった。こいつらさえいなければ、人出が多過ぎるとはいえ、穏やかな正月の光景である。)
 正月に寺社仏閣に集まる人たちをターゲットに、その場の空気を踏みにじってキリスト教の布教活動をするということ自体、現代の日本ではだれにも受け入れられない「ずれた」行為なのだが、その目的云々以前に、逃げ場のない人に対して音の暴力を仕掛けることがともかく許せない。そもそも、なぜ、警察はこいつらを取り締まれないのか。宗教活動への干渉として反発されることを恐れているのかもしれないが、これは信教の問題以前に、単純に騒音問題であるという視点が欠落している。やはり、社会全体として「音の暴力」という問題に対する意識が足りず、立法も遅れているということなのだろう。もちろん、いわゆるデモ行進などとの間の線引きが難しいということはあるのだろうが、それにしても、である。
 言うまでもないことだが、キリスト教関係者がみなこの狂信的な連中の行為を容認しているとは思えないし思いたくない。恐らくは、恥ずべき行為として苦々しく思っている人々も多いであろう。

 ともかく、正月早々イヤなものを見せられてしまった。こんなことなら、家で天皇杯決勝観戦でもしてればよかった。そうだ、ガンバが準決勝で負けたのがいかんのだ!(八つ当たり)
 録画で見た決勝では、柏木のいない広島を鹿島がまんまと倒し、今期2冠を達成したようだ。ガンバ対広島の準決勝で遠藤と柏木に2枚目のイエローを出した家本主審のおかげである。どっちと当たっても鹿島の優位は約束されていたのだ。(まあ、遠藤のイエローは妥当だった気もするが、基準が一定しておらず、柏木のアレはあまりにも大人気がない...。)結果論かもしれないが、審判のさじ加減一つで、そのゲームのみならずトーナメント全体の興味が削がれるというのは悲しいことだ。

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「合唱ができるまで」

 ふと思い立って、2006年末に見そびれたフランスのドキュメンタリー映画「合唱ができるまで」のDVDを借りてきた。年末年始のやかましいTV番組を見るよりは、第九を歌う代わりにこれを見るのもいいかなと思ったのである。ソバを食いつつ、DVDを視聴しながら、2008年を迎える。
 内容は、とある女性指揮者を中心に、子供から大人まで幅広い層からなるアマチュアの合唱団が、教会でのコンサートを目指してアンサンブルを仕上げていく練習風景のみをひたすら追った作品。どういうレベルであれ、音楽のアンサンブルを作り上げるよろこびを経験したことのある人(もしくは、よろこびを感じるまでやり切ることのできなかった人)にとっては、最後の弦と合わせたリハーサルで指揮者に「急に音楽が立ち上がってきた」と言わしめたあたりで、それぞれの感じ方で胸にせまるものがあると思う。
 いろいろ思う所を書き始めるときりがなくなるので、今はやめておく。細かいところで、この指揮者の指導の方法では、全くの音楽初心者とクラシック畑の人だけならいいかもしれないが、日本の学校教育で「移動ド」を叩き込まれた上にポップス方面のリズムの取り方の訓練は多少積んでしまった私のような者は、一番噛み合わなくて苦労するだろうな、というあたりがちょっと気になった。「移動ド」と「固定ド」の問題は、結構重大な話なので、いずれ稿を改めて。
 とりあえず手元に置いておきたくなり、早速Amazonで発注。新年最初の買い物としては悪くない。

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