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元日の浅草

080101_1 せっかくご近所なので、たまには初詣にでも行くかと思い、自転車で浅草寺へ。
 がしかし。
 ここは何の覚悟もなく元日に来るような場所ではなかった...。
 微動だにしないありえない長さの参拝者の列が、仲見世通りから溢れて吾妻橋付近まで続いている。さすがに、これに並ぶ根性はなかったので、結局もんじゃコロッケを1個食っただけですごすごと退散。
 後で調べてみたら、2006年の初詣参拝者数は、全国7位の220万人だったそうで...どうやってそんな恐ろしい人数があの狭いエリアに集結するというのだ。そもそもどういう集計なのかは不明だが、仮に三が日だけをカウントしたものだとすると、1秒あたり平均約8.5人が雷門をくぐったことになる(深夜も含め)。あの行列の進み具合を考えると、とてもそんなペースでは動いてなかった気がするのだが、私のように列に並ぶのもあきらめて退散する者も含めると、そのくらいになるのだろうか。

080101_2 列に並ぶ根性が涌かなかった理由はもう1つある。こういう人が集まるところでは、一般に、拡声器を使った警察の誘導がうるさくてそれを延々と聴かされるのが苦痛で萎えることはよくあるのだが、ここでは警察の誘導自体はそんなにうるさくはなかった。ところが...である。その代わりに、キリスト教系の団体による拡声器を使った啓蒙活動?(そんなきれいな言葉は使いたくもないが)の声が、暴力的に歩行者天国エリア全体を支配していたのだ。「福音の言葉」(か呪詛の言葉かわからんが)を書いた黄色いのぼりとともに拡声器を掲げた連中が大量に配備され、そいつらが組織的に街頭放送を行っている。その空間にいる何万人もの人々は、ほとんどその街頭放送の音しか聴いていない状態である。しかも、長蛇の列に並んでいる人たちは、逃げ場もなく、何時間もその状況の中に監禁されていることになる。これが暴力=テロでなくて何であろうか。(ちなみに、こいつらと、列の誘導以外には、正月早々拡声器ででかい音を垂れ流すような無粋な連中はいなかった。こいつらさえいなければ、人出が多過ぎるとはいえ、穏やかな正月の光景である。)
 正月に寺社仏閣に集まる人たちをターゲットに、その場の空気を踏みにじってキリスト教の布教活動をするということ自体、現代の日本ではだれにも受け入れられない「ずれた」行為なのだが、その目的云々以前に、逃げ場のない人に対して音の暴力を仕掛けることがともかく許せない。そもそも、なぜ、警察はこいつらを取り締まれないのか。宗教活動への干渉として反発されることを恐れているのかもしれないが、これは信教の問題以前に、単純に騒音問題であるという視点が欠落している。やはり、社会全体として「音の暴力」という問題に対する意識が足りず、立法も遅れているということなのだろう。もちろん、いわゆるデモ行進などとの間の線引きが難しいということはあるのだろうが、それにしても、である。
 言うまでもないことだが、キリスト教関係者がみなこの狂信的な連中の行為を容認しているとは思えないし思いたくない。恐らくは、恥ずべき行為として苦々しく思っている人々も多いであろう。

 ともかく、正月早々イヤなものを見せられてしまった。こんなことなら、家で天皇杯決勝観戦でもしてればよかった。そうだ、ガンバが準決勝で負けたのがいかんのだ!(八つ当たり)
 録画で見た決勝では、柏木のいない広島を鹿島がまんまと倒し、今期2冠を達成したようだ。ガンバ対広島の準決勝で遠藤と柏木に2枚目のイエローを出した家本主審のおかげである。どっちと当たっても鹿島の優位は約束されていたのだ。(まあ、遠藤のイエローは妥当だった気もするが、基準が一定しておらず、柏木のアレはあまりにも大人気がない...。)結果論かもしれないが、審判のさじ加減一つで、そのゲームのみならずトーナメント全体の興味が削がれるというのは悲しいことだ。

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