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手荷物引換証の照合は航空会社の責任だ。

 今年2度目の鹿児島。正月にも思ったのだが、鹿児島空港で手荷物を受け取る際に、手荷物引換証の番号のチェックを係員がやらない。いつからこうなったのかはわからないが、ちょっと前まではちゃんとチェックしていたはずだ。その代わりに、「お取り間違えのないよう、番号をご確認下さい」と呼びかけている。

 何か、根本的なことをはき違えてないか?

 こっちは、大事な荷物を航空会社に預けているのだ。それを受け取る際、流れてくる荷物をみな好き勝手に取って出て行くだけである。「タグのついた荷物を持って出る人はゲートで止めて引換証と番号が一致することを確認する」というのは、手荷物を預かった航空会社の最低限の責任なんじゃないのか。

 航空会社側の理屈はこんな感じなのか。「だから、貴重品は預けるなと言っている。そもそも、引換証のチェックをしても、手荷物をとってすぐタグを外してしまえばわからないのだから、盗まれるリスクは今までと変わらないだろ。取り違えの場合は、間違えた方が自分の荷物を残していくことになるから、すぐわかるし、取り違えないように注意を喚起している。」……ちがーう!
 まず、大事な物を預けるなというのは、機内持ち込み荷物の大きさ制限の厳密化と真っ向から矛盾する。別に、高価な品物や現金・カードの類だけが大事なものではない。カバンにはこれからの旅で必要なものが入っているのだ。必要なものは全て大事な物。
 引換証だけでは、もともとセキュリティとしては弱いというのはたしかにそうかも知れないが、荷物を取ってエリア内でタグを外す行為をさせないように監視するのも当然の責務であるし、少なくとも公然と置き引きをするという行為を抑止する効果は十分あるはずだ。
 取り違えに関して、注意を喚起することで責任を果たしているというのは、考え違いも甚だしい。荷物を預ける者は、あくまでも航空会社に預けているのであって、見ず知らずの不特定多数の手にゆだねたわけではないのだ。

 持ち込まれる荷物のセキュリティチェックに人員を割いているので、出て行く荷物のケアまで手が回らないということなのだろうが、何があっても外しちゃいけないところは外しちゃいけない。

 ところで、これはどこの空港でも同じ状況なのだろうか。前回帰京時には、羽田ではちゃんと係員が見ていた気がするのだが...。

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狙い撃ち?

 例年は期限ギリギリに駆け込むのだが、今年は帰省前にということで本日確定申告完了。なんだか国税局の申告書作成コーナーがいろいろ使いにくくなっていて、えらく疲れてしまった。それでも、この数時間の作業で、今月1ヶ月分の稼ぎよりずっと大きな額を取り戻すことができたのは、喜ぶべきなのか...。(本質は、「オレの金返せ」であるはずだ。)

 明日は、ノートパソコンはもちろん、仕事に必要な書籍や書類をいっぱい詰め込んで、また長丁場なのでそれなりに衣類も詰めて、空港に向かわねばならないのだが、非常に間の悪いことに、出かけるぐらいの時間帯を狙い撃ちでマンションのエレベーターのメンテナンスだと。その間2時間なのだが、それより前だと出かけるのには早すぎるし、終わってからだと飛行機に間に合うか微妙なタイミングだ。ということは、重たい荷物を背負ってマンション7階から階段で降りねばならんのかいな。なぜピンポイントでそのタイミングなんだ...。相変わらず全ての流れが悪い。

 下山に備えて、今夜は体力を蓄えないと。

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平成22年2月22日

スーパー猫の日記念その1。
てゆーか、平成になってから21年も経つってとこが驚きだ。
22年じゃない所が面倒くさい。ゼロの発見が遅すぎだよ>人類

(今気づいたのだが、もしかしてココログのアクセス解析データの更新が滞ってるのは、これと同じような日時指定の書き込みが大量に発生しているせいで処理能力を超えている?本番は午後10時22分。)

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試練はまとめてやってくる。

 いろんな種類のネガティブな状況は、同時多発的に起きる。自分の力ではどうすることもできずただ運命を見守るしかない事柄と、自力で知恵の限り全力を尽くして乗り切らないといけない状況と。どちらか片方ならまだしも、両方はちとキツイ。

 とりあえず、予定を早めて来週再び帰省。大量の仕事も持ち帰り。傍からみると(前者の事情しか分からない人から見ると)その状況の中で自分の仕事をするなんて非常識に見えるかもしれないが、仕方がない。これがサラリーマンであれば、会社を休むこと自体できないはずなのだが、仕事を持ち運べてしまうフリーランス(しかもだれも負担を肩代わりはしてくれない)だからこそのジレンマでもある。

 まずは、東京でしかできない仕事を可能な限り片付けないと。こんな時にかぎってやたらと寒い。

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「無理しないでね」

 ほとんどの人が心のどこかに鬱を抱えている世の中で、最近よく言われるのが、「がんばっている人に『がんばってね』というのは残酷だ」というもっともらしいご意見。もちろん、確かにそのとおりだというケースもあるだろう。でも、結局はケースバイケース。この物言いをそのまんま薄っぺらく受け止めて、無理をしてでも自力で乗り越えるしかない状況に置かれている人に対して無責任に「無理しないでね」という方がよっぽど残酷である場合も多いのだ。もちろん、無理しなかった結果起こる全ての問題を肩代わりできるだけの能力と覚悟のある人が「無理するな」と言うのであれば構わないのだが、ほとんどの場合はそうではない。無理をするしかない状況が何も変わらないのに、無理をするなという理不尽なことを言われても、「結局だれも理解してくれない」という絶望感がつのるだけだ。その場合は、「自分はなにもしてあげられないけど、がんばれ」と言われる方がよっぽどましだ。
 「がんばってね」が残酷になるのは「がんばっているのに報われない」という文脈で苦しんでいる人に対してである。「報われない」というのは、自分の望む、今よりよいステージに進めないということだ。今よりよくならなくても、別に死ぬわけじゃない。だから「がんばらなくてもいいよ」と言ってしまってもいいことになる。しかし、今がんばらないと致命的なカタストロフィーが訪れるというシチュエーションで、やらなければならないことが大変で苦しんでいる人は、置かれている状況が全く違うのだ。要するに、その違いを把握する程度に踏み込むことすらしない無責任な立場で、苦しんでいる人に対して優しげな言葉をかけるという行為こそが、残酷なのである。
 「だから、優しい言葉をかけるな」と言っているわけじゃない。携帯メールや2ちゃんねるやツイッターの3行コミュニケーション、その延長にある文脈の存在しない会話では踏み込めない領域に踏み込む努力をしていかないといけない。

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