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在宅医療と日本の活気を守るために、輪番停電ではなく徹底節電で対応を。

 未曾有の災害。それについて今さら私一人には何も語る言葉もありません。ただただ、今も被災地で苦しんでおられる方々の無事を祈り、救助活動をしている方々にエールを送り、そして原発の状態がこれ以上悪化せずに無事停止してくれることを祈るだけです。

 そんな中自分は全く健康で、何も被害を受けずに、今はほぼ安全な東京にいます。

 今日から、東京電力エリア内で輪番停電が始まります。私個人としては、一日の半分停電の日々がこれから数ヶ月続こうが、それで仕事が全くできなくなるわけでもなく、被災地におられる方のことを思えばその程度の負担は負担とも言えません。私個人にとっては。

 でも、停電というものは、健康な者にとってはなんともなくても、生きていくのに電気を使う医療器具が必要な人たちには、絶望的な負担をかけることになるということを忘れないで欲しいのです。

 今回の地震がどれだけ大変なことだったか、被災地がどんなにひどい状態になっているかは、全ての国民が知っています。特に、実際に(高々震度5程度ではありますが)揺れも経験し、被災地の中心を距離的にも近しく感じている関東エリアの人間にちゃんと指針を示せば、相当に身を削るレベルの節電であってもみんな全力で取り組むはずです。もちろんそれは、(寒冷地を除き)時間帯によってはエアコンは一切使わないとか、照明は1/3以下にするとか、かなり徹底したものでなくてはなりませんが、輪番停電で生活が成り立つならば同じ量を自主的に削減できないはずはありません。電力が不足するのが時間帯限定なのであれば、むしろやみくもに時間を区切って順に停電にするよりも効果的な電力削減が可能ではないかと思われます。(輪番停電では、止めてぬるくなった冷蔵庫を再び冷やす際などに、むしろ無駄なエネルギーを使うのではないですか?)そして、健康な人たちががんばって節電して、停電を回避しさえすれば、電気があれば健やかに過ごせる人たちに無茶な負担をかけることもなくなります。

 昨年ガンで亡くなった私の父は、まだ意識がしっかりしている時にどうしても自分の家にいたいという思いが強く、そのため母が面倒を見ながら在宅看護をしていました。父は最期は病院でしたが、その前に自宅で穏やかに過ごすことができたというのは、父にとってとても大切なことだったと思います。
 肺の機能も弱っていたので、そのとき父の命を支えていたのは酸素吸入装置でした。普段は流量は少なめにしておき、少し歩いたりしてきつくなったら流量を増やして、というようなコントロールをきちんとして、なおかつ寒すぎたり暑すぎたりしないように空調がなされていれば、在宅でも問題なく(むしろ心理面の効果で病院にいるよりも元気に)生活できたのです。あまりなじみのない方には酸素吸入装置といえば酸素ボンベからの供給と思うかもしれませんが、在宅医療などで使われるのは、まわりの空気を取り込んで、そこから酸素濃度の高い空気を作り(つまり、窒素濃度の高い空気を排出して)その高酸素の空気をチューブで鼻のそばに送るという装置(酸素濃縮器)で、当然その稼働には電力が必要です。もちろん、外出時などのために酸素ボンベも用意してありますが、酸素濃縮器の方がはるかに手軽で安全でなおかつランニングコストも安いのです。

 でも、もし父が在宅で療養していた時期に、毎日何時間か停電になると言われたらどうだったか、想像しただけで恐ろしいことです。明かりのないところで、使いにくい酸素ボンベを扱わねばならず、暖をとるには石油ストーブしかない状態。(もともとエアコンしか用意していなければその時点でアウトです。) 健康な人たちが努力すれば済むのに、ただでさえつらい病人をそんな状態におく必要がどこにあるでしょう。もちろん、その場合は本人の思いとは関係なく病院に入院させるしかなくなるでしょう。でも、果たして病室の空きがあるのか。そして、そもそも病院自体が毎日非常用電源で稼働しなければならない状態になるのです。

 「弱者に負担をかける」という言い方はあまりしたくありません。父の場合は確かに身体はかなり弱っていましたが、酸素さえあれば、もしくはなんらかの電気を使う装置さえあれば、コードの届く範囲内では他の人と変わりなく活動できる人だっているでしょう。でも、時間限定であろうと「停電」を起こしてしまうというのは、その人たちのハシゴを外し、弱者ではないはずの人を弱者にしてしまう行為に他なりません。
 ツイッター上でも「電気を止めるというのは、私たちに死ねと言っているのと同じだ」というような声も見かけました。それは決して誇張ではないと思います。

 もう一つ、考えて欲しいことがあります。輪番停電の間できなくなること、やらなくなるであろうことをいろいろ想像してみて下さい。毎日どこかの時間帯で停電ということになると、例えば映画館の上映予定はどうなるのだろうか?ジムのレッスンスケジュールはどうなるだろうか?飲食店の営業時間は?そもそも停電の中家族が待っているのに飲みに行くだろうか?
 被害者のみなさんのことを思えば、そのような楽しみを我慢することなんてなんでもありません。今そういうことを想起すること自体何を不謹慎なと思う方もいるでしょう。でも、忘れてはいけないのは、そのような娯楽・サービスを利用しなくなるということは、それを提供することをなりわいとしている業種全体が壊滅的な打撃を受けるということです。
 もちろん、輪番停電でなくても最初はみんな娯楽どころではないでしょうが、被害者の方々の受けたダメージをみんなで支えながら復興していくには、経済的にも精神的にも活力が必要となります。そして、それらのサービス業は、経済的・精神的どちらの意味においても活力を支える力となるはずです。しかし、もし輪番停電が長期にわたって続くのであれば、それらの業種は全く立ちゆかなくなるのではないでしょうか。そして、毎日停電の中何時間も無為に過ごすという日々は、人々の心を暗くふさぎ込ませます。震災で苦しんだ人たちが帰ってくるべき場所が、そのような灯の消えたような場所であっていいはずはないでしょう。そうでない道があるならば、絶対にそちらを選ぶべきです。

 ただし、震災後最初の平日である今日、明日ぐらいは、節電の指針もできていない状態で予期せぬ停電のリスク回避のためにやむを得ず輪番停電に踏み切るというのは理解できます。(もちろん、それならばもっと早く決断して医療機関に十分な準備期間を与えるべきでしたし、前日の夜のドタバタは非常にまずかったですが、有事ですからそれを今言っても仕方ありません。全ての関係者の努力で停電による二次災害とならないことを祈るのみです。)ただ、なるべく早期に、停電ではなく節電をどこまでがんばれば十分に余裕をもって乗り切るだけの電力量削減が可能かを本気で検討して、それを国民全体で実現する、という方向に政府には舵を切って欲しいのです。

 これから日本に必要なのは、助け合いと団結と、復興への活力です。辛い立場の人にさらに負担をかけ、健康な人も停電時間に生活が支配され、一日の何割かを無為に過ごさねばならず、なおかつ活力を支える多くのサービス業を壊滅させる「輪番停電」は、全ての逆を向いています。でも、「みんなでがんばって節電をして、停電を回避しよう」という方向を向くことができたなら、全てはプラスに転じると思いませんか。

 ツイッターで皆が助け合っている姿を見ればわかります。今は本当に大多数の人が被害者のため、復興のために自分は何をすべきかをそれぞれの立場で考えています。少なくとも電力の問題については、必要以上に性悪説を前提としたリスクマネージメントをする必要はないでしょう。徒党を組んで電力を大量に消費する馬鹿者は出てきません。(もちろん、監視の目も働きます。)そこで国民を信用できれば、それがきっと復興への大きな第一歩になるはずです。

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