特例って何?

 レースが始まってしまってからルールを変えるなんてことが許されるわけがない。そんな当たり前のことに気付かないふりをして世論をあおる愚かなマスコミは許し難い。
 誤解のないように言っておくと、私は浅田真央選手のファンである。世間がミキティフィーバーで盛り上がっている中、たしかフジテレビあたりがずっと浅田真央のことを追いかけていて、それを見てとんでもない天才がいるなと思っていたのだが、案の定彼女は一気にトップに上り詰めた。もちろん、今度のオリンピックには年齢制限に満たずに出られないという話を知って、大変残念に思ったものである。でも、残念に思うことと、前のオリンピックの直後からとっくに始まっている選考レースの途中で「特例を認めろ」などという暴論を吐くのとは、全く次元の違う話である。「年齢制限は根拠がないから撤廃すべきだ」という議論ならまだわかる。年齢制限の存在は容認した上で「特例」というのであれば、次は当然「何歳からなら特例が認められるのか」という議論になるのであって、結局それはルールを変えろと言っているのと同じである。
 今回の件でなおさら腹立たしいのは、本人は「今回は出られないんだ。ふーん」というぐらいに受け止めていたものを、本人の気持ちを全く無視したマスコミが「同情」という押しつけがましい言葉を使って、無理やりストーリーを作ろうとしていることである。確かに、このルールの狭間に出現してしまった超新星にとって、もしかしたら今後のキャリアの中でも一番いい時期のオリンピックに出られないということは、客観的に見て理不尽なことかも知れない。でも、それを言ったら、オリンピックが4年に1回しかないことで同様の理不尽さを味わっている選手も数多くいるのである。それよりも、今はむしろそのルールによって、選考のプレッシャーのかからないところでオリンピック以外のタイトルを総なめにするという伝説を作る特権が彼女に与えられているのだから、余計なことを考えずに天真爛漫に天才ぶりを発揮できる環境を守ってやるのが彼女のためでもあろう。もちろん、彼女もいつかはそのプレッシャーと対峙しなければならない時期は来るのだろうが、それは今である必要はなかったはずである。マスコミの過剰な報道によって、筋違いのプレッシャーを彼女が受けているとすれば、それこそ彼女にとって理不尽なことではないか。
 なんだか、世論だけには敏感な一国の首相までもが無責任な発言を始めたようなので...。この暗い世相の中、数少ない明るい存在である天才少女の話題を、大人たちの利害にまみれたどす黒い話におとしめるのだけはやめてほしいものである。

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技術の空洞化の恐怖

 TVを見ていたら、例の耐震強度偽装の問題について、ある人が、「建築構造士(構造設計がちゃんとできて、その能力のチェックを定期的に受けている人)の人数が絶対的に少なく、しかも、その一番重要な構造士が業界のヒエラルヒーの中で最下層扱いをされているというのが根本の問題」という発言をしていた。まさにその通りだと思う。
 基本的に、技術畑の仕事というのは大変なものである。常に最新の技術動向をフォローしないといけないし、本当の意味でのルーチンワークというものは存在しない。さらに、高度に細分化が進んでいるため、自分の担当している分野の概要すら他人に理解させることは困難な場合も多く、その技術が世の中にとって必要不可欠なものであるということを正しく理解しているのは自分だけという深刻な孤独(それは往々にして本人の思い込み等ではなく真実である)を常に抱えている。また、技術の細分化は、自分自身のその仕事に対する思い入れを維持しにくくする要因ともなる。そして、一部の先端的な研究開発に携わっている者を除く大多数の技術者にとって、その仕事の成果は、「何も不具合が発生しなかった」ということとしてしか表れず、逆に、クローズアップされるのは常にトラブルが発生した時である。
 このように、高い技術力を要し、縁の下の力持ち的な存在である技術職、理系職の人間が、今の世の中あまりにも不当な扱いを受けている気がしてならない。「勝ち組」「負け組」等というイヤな言葉があるが、本当に高い能力を持っていて、その能力を必要としている分野で役立てようとしている人が、表立った評価は受けにくい(高収入にも結びつきにくい)理系の職種であるというだけで負け組というレッテルを張られてしまっているのである。当然優秀な人材は技術職を敬遠するようになり(その中には堀江某のような迷惑な勘違い人種も出現し)、技術畑は圧倒的な人材不足に陥る。すると、能力のある技術職の人にはさらに負担が集中することになり、なおさら敬遠されてなり手がいなくなるという悪循環が起こる。当然技術者のモラルも低下する。そして、ただでさえ減っている技術職の中でも優秀な人材が、先端技術の開発に回されてしまうと、成熟した従来技術の保持運用という、本来最も層が厚くてしかるべきところに全く技術力が残らないことになってしまうのである。技術の内容自体はどんどん高度化していくのに、人的資本としての技術力が低下するというのは、非常に危険な状況である。
 このままでは、技術大国としての日本のバブルが崩壊するのも時間の問題。今回の強度偽装マンションのスカスカの鉄筋は、まさにその象徴であろう。さらに、これからあの間違ったゆとり教育世代が台頭してくると、本当にどんなひどい状況になるか、想像するだに恐ろしい。
 技術の空洞化の悪循環を断つには、技術職を努力すれば報われる魅力的なものとし、そこに優秀な人材を取り戻すための待遇面の整備や、育成システムの整備等、企業レベル及び国策レベルの努力が必要なのは当然だが、それ以前に、まず世間一般が技術職に対してもっと敬意を持つべきであろう。世の中、経理と営業だけでは何も始まらないこと、そして、生活のあらゆる場面で技術者の努力の成果の恩恵を受けていることを、そろそろ真剣に理解しないと、ひずみはもはや限界まできている。
 例の耐震強度偽装問題でも、あの一級建築士の確信犯的犯行のために、建築士という職業自体のイメージを悪化させ、志す者がいなくなるような悪循環を起さないように、マスコミや国は十分配慮してほしい。もちろん、その前提として、事件の背後にある歪んだヒエラルヒーを徹底して正すということが必要である。

 私のようなエンジニア崩れには言われたくないと言われそうだけど(苦笑)。

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使えない津波予報ページ

 さっき地震があったので、テレビやネットで情報の伝達の様子を観察してみた。特に今回は広範囲に渡って同程度の震度ということで、明らかに震源が海底だったので、津波情報を気にして見ていたのだが、非常に不安になったのが気象庁HP。
 地震があったのは6:39頃で、太平洋沿岸部に津波注意報が6:47頃に気象庁から発表されたらしく、TVやYahooのページではすぐに情報が流れたのだが、肝心の気象庁のHPの津波情報のページでは、「現在、津波警報・注意報を発表していません」という表示のまま、いつまでたっても更新されない。岩手や宮城では7:10頃、北海道でも7:30頃が津波到達予想時刻になっていたのだが、結局7:30を過ぎても気象庁のページでは情報を表示しないままであった。
 気象庁がネットで災害情報として公開している以上、実際の災害で役に立たないということは許されない。いつ起こるかわからない地震の情報なのだから、当然24時間態勢で情報が流せるようになっていないといけないはずである。今回は実際には被害が出るような規模の地震ではなかったので、あまり問題にされないかも知れないが、これはあり得べからざる大失態である。リアルタイムで情報を更新する能力がないなら、Yahooの津波情報へのリンクでも置いとく方がよっぽどまし。
 日本の地震や津波に関する情報伝達システムは、世界的にも最高水準みたいなことが言われているが、こういうボロを見せられると、本当の大震災が来た時に何が起こるか、不安でならない。

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騒音の質の問題と「分音」

 何を今さら、である。
 六本木のドン・キホーテの屋上の絶叫マシンの騒音問題が取りざたされている。さっきも「バンキシャ!」で、通常の街の騒音と絶叫マシンからの悲鳴を、同じ音量レベルで聞かせたときの脳波を比較し、人の悲鳴の方が強いストレスを与え、不快な感情を呼び起こすのだという実験を紹介していた。当たり前の事を実際に実験して示すのはいいのだが、問題は今回のように派手な話題性のある場合だけ取り上げられ、それが氷山の一角にすぎず「精神にこたえるような騒音」に日々苦しめられていても法律も行政も助けてくれず困っている人が全国にいくらでもいることに全く目が向けられていないことに、ついいらだちを感じてしまう。
 実は昨年、前に住んでいた場所からの引越しを決意した理由が、隣家の犬の吠え声であった。飼い主が不在で淋しくなると、何時間でもヒステリックに吠え続ける馬鹿犬が近所に2匹おり、基本的に在宅で仕事をする私としては、ストレスが限界に達していたのである。さすがに夜中まで吠え続けることはあまりなかったが、夜中に仕事をするなら昼間は寝たいのだし、昼間寝ることも仕事をすることもできないというのは、生殺しに近い状況である。
 犬の吠え声というのは、機械の稼働音や車の走る音などと違い、意志をもって何かを訴えかける音なので、バックグラウンドノイズとして聞き流すことができるような類いのものではなく、ひたすら精神にストレスを与え続ける。始末の悪いことに、飼い犬は往々にして飼い主の前ではおとなしく、飼い主不在の時に吠えるので、飼い主は犬がどれだけ近隣に迷惑をかけているのかという実態をほとんど把握していない場合が多い。そして、事がペットに関するものであるが故に、「犬が好きかどうかで感じ方も違うので難しい問題だ」等という論点のすりかえが行われ、うやむやにされることが多いのである。
 前住んでいた街は、世間ではハイソな住宅街というような捉え方をされているが、犬をちゃんと躾けることもできないくせに犬を飼いたがるイヤなプチブル(死語)が大量に住んでいる街で、市内を歩いた感じでは1区画に1〜2匹は無駄吠えをする犬がいるような状況なので、私と同じような騒音被害に耐えている人の総数は相当なものだと思われる。騒音被害を受ける側から見れば、近所のビルの屋上に絶叫マシンができるのも、隣家が無駄吠えをする馬鹿犬を飼い始めるのも、問題としては変わらない。むしろ、ドンキの件の方が、悪役がはっきりしている分まだ救いがあるかもしれない。
 騒音問題では、被害の存在を被害者側が立証しなければ行政も司法も相手にしてくれないが、実際には技術的な問題もあり、立証は容易なことではない。まして、悲鳴や犬の吠え声のように、数値として表れる音量の問題だけではなく、その騒音の質が問題になるようなケースで被害を立証するのは困難を極める。騒音問題に対する行政側からの積極的なアプローチがない限り、市井に潜在する騒音問題は、致命的な形で噴出するまで表面化することはないだろう。
 これからの時代、物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさを求めるのであれば「静かに生活する権利」というものはもっとクローズアップされるべきである。今回のドンキの問題が、特殊なケースと捉えられるのではなく、様々な局面での騒音問題(特に様々な騒音が精神にもたらす悪影響の問題)に対する認識を深め、世の中の根本的な仕組みの中に「静かに生活する権利を守る」という思想が盛り込まれるためのきっかけになってくれればよいと思うのだが...期待薄か。
 「分煙」の問題が、長い年月をかけてようやく一般に浸透してきたが、それと同じように「分音」というような発想で、あらためるべきことはいくらでもあるような気がする。

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