「無理しないでね」

 ほとんどの人が心のどこかに鬱を抱えている世の中で、最近よく言われるのが、「がんばっている人に『がんばってね』というのは残酷だ」というもっともらしいご意見。もちろん、確かにそのとおりだというケースもあるだろう。でも、結局はケースバイケース。この物言いをそのまんま薄っぺらく受け止めて、無理をしてでも自力で乗り越えるしかない状況に置かれている人に対して無責任に「無理しないでね」という方がよっぽど残酷である場合も多いのだ。もちろん、無理しなかった結果起こる全ての問題を肩代わりできるだけの能力と覚悟のある人が「無理するな」と言うのであれば構わないのだが、ほとんどの場合はそうではない。無理をするしかない状況が何も変わらないのに、無理をするなという理不尽なことを言われても、「結局だれも理解してくれない」という絶望感がつのるだけだ。その場合は、「自分はなにもしてあげられないけど、がんばれ」と言われる方がよっぽどましだ。
 「がんばってね」が残酷になるのは「がんばっているのに報われない」という文脈で苦しんでいる人に対してである。「報われない」というのは、自分の望む、今よりよいステージに進めないということだ。今よりよくならなくても、別に死ぬわけじゃない。だから「がんばらなくてもいいよ」と言ってしまってもいいことになる。しかし、今がんばらないと致命的なカタストロフィーが訪れるというシチュエーションで、やらなければならないことが大変で苦しんでいる人は、置かれている状況が全く違うのだ。要するに、その違いを把握する程度に踏み込むことすらしない無責任な立場で、苦しんでいる人に対して優しげな言葉をかけるという行為こそが、残酷なのである。
 「だから、優しい言葉をかけるな」と言っているわけじゃない。携帯メールや2ちゃんねるやツイッターの3行コミュニケーション、その延長にある文脈の存在しない会話では踏み込めない領域に踏み込む努力をしていかないといけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大人の走り回る足音

 ネットで「マンション 騒音 足音」とかで検索してみると、マンションで子供の走り回る足音がひどいケースに対し、損害賠償命令の判決が出た例がヒットする。この例だけでなく、多くの記事で「足音」に「子供の」「幼児の」という言葉が付随している。しかし、これには私は非常に違和感を感じる。たしかに、走り回ったり飛び跳ねたりする音が、しつこく繰り返されるのは、子供の行為であるケースが多いのだろう。でも、本当は、子供の走り回る音よりも、大人の走り回る音の方が当然ながらよっぽどうるさいのだ。

 マンションのある階にタラちゃんが生まれる前のサザエさんとマスオさん夫婦が住んでいるとしよう。サザエはドジだけど明るく元気な若奥様である。何事もキビキビしないと気が済まないたちなので、部屋の中でも常に小走りである。しかし、決して要領はよくないので、行動に無駄が多い。洗濯物を干すのに洗濯バサミやハンガーが足りずに何度も取りに戻ったり、鍋を火にかけてるのを忘れてて吹きこぼれてあわてて火を消しに戻ったりというのは毎度のこと。もちろん、買い物しようと街まで出かける時は必ず玄関でサイフを忘れたことに気付き部屋まで駆け戻るのだ。仕事から帰ってきたマスオの元に「おかえりなさーい」と玄関まで走ってくる途中で見事にすっころんだサザエを見て、「相変わらずドジだなあ」とマスオは笑っているが、そんな元気なサザエをマスオは愛しく思っているのだ。

 「笑い事じゃない。そのドジで元気で可愛い若奥様の無神経な足音のせいで、こっちは毎日地獄の苦しみを味わっているのだ」と言うのは、その下の階に住むイササカ先生である。彼は文筆家で、毎日締切に追われて自室で原稿を書いているので、仕事をするにせよ、合間に仮眠をとるにせよ、とにかく静かな環境を求めている。自由業の人間の常で、もともと朝が遅い夜型である。昼前に起き出して、午後からようやく仕事を始めても、本格的にペースに乗るのは夕方からで、それから夜中まで集中してパソコンに向かって原稿を書くのだ。
 しかし、上の階に若夫婦が引っ越してきてから、様相は一変してしまう。日中静かに仕事ができる時間帯が、上の階の奥さんがパートに出かけているとおぼしき昼の12:00〜17:00ぐらいだけになってしまったのだ。もちろん、昼間のその時間帯は、上の階からの音は無くても、廃品回収業者や謎のホットドッグ販売業者等の拡声器攻撃にもおびえなければならない。そして、そもそも彼の主戦場は夕方以降なのだ。14時頃からパソコンに向かい、ようやく筆が進み始めたと思うと、帰宅と同時に何の意味があるのか部屋をかけまわる上の住人の足音により、頭の中で組み立てられていたストーリーがガラガラと崩れ落ちていく。彼は語る。「マンションで暮らすということは、コンクリートの箱の中に閉じこめられて生活するようなものだ。そして、上の階の足音というのは、普通の声や物音と違い、箱全体が鳴る、音というより振動である。今の生活は、あたかも、そのコンクリートの箱の上に住むゴリラがいつ箱を叩いて暴れ出すかと戦々恐々としながら暮らしているようなものだ。」
 騒音で仕事が進まなくなったイササカ先生は、自ずと仕事時間が上の住人が寝た後の夜中にシフトしていくことになる。といっても、上の住人も若いので、1時頃までは平気で足音を立てている。ようやく本当に集中して仕事ができる時間となっても、それはあまり長くは続かない。夫のために甲斐甲斐しく働く若奥様の朝は早い。毎朝5時過ぎには、ベッドから床に降りる衝撃音に始まり、朝の騒音タイムが始まるのだ。そして、そこでまた思考が寸断される。あきらめてもう寝ようと思っても、不眠がちな彼は、足音が気になって眠れない。やむなく耳栓を装着し、自分の耳鳴りの音だけを聞きながら逃げるように眠りにつく。
 うるさくて仕事にならないといっても、締切はやってくる。イササカ先生は止むなく、仕事時にも耳栓を常備し、足音が始まったら迷わず耳栓を装着することにした。しかし、高性能の耳栓は、耳の穴を内側から圧迫するので、長時間装着すると耳が痛くなり,うっ血して耳鳴りもひどくなる。また、密閉され、耳栓自体不衛生になりがちなので、外耳炎が慢性化する。彼は言う。「耳栓をして生活していると、五感のうちの1つを奪われているので、あらゆる身体のリズムやバランスが崩壊しているのを感じる。特に、感情面において大きな悪影響がある。少なくとも耳栓を装着している最中に、安らかな気持ちや、『うれしい』とか『幸せだ』という感情が起こることは皆無である。これでは、人間として生きていることにはならない。足音に苦しみだしてから、音が始まると動悸が激しくなったりと、身体的変調は既に出ていたのだが、耳栓をするようになってからは、騒音が始まると同時に条件反射的に耳に血流が集まり耳鳴りがするようになった。また、長時間耳栓で生活することで、逆に小さい音にも敏感になってしまい、耳栓を外した時の騒音による苦痛がより増した感がある。」

 幸せあふれるサザエさん夫婦の生活と、悲惨極まりないイササカ先生の生活は非常に対照的だが、これが、マンションにおける足音騒音の問題の重要なポイントである。つまり、音が伝わるのが上から下へという一方通行であり、上の階の人はその足音が下にどのように伝わっているかを体感する術はなく、それがどれだけ下の階の人を苦しめているかということに一切気付いていないことが問題なのだ。この問題についてよく言われる暴論として「生活騒音はお互い様だから我慢するのが当然だ」というものがある。上の階の住人もそれなりに足音に気をつけて生活してくれていて、それでも多少は音が伝わってしまうという範囲であれば、「お互い様」というのはまさに正論なのだが、乱暴な足音をたてない努力を一切せず、「普通に生活しているだけで何も悪いことはしていないのだから文句を言われても困る」というスタンスの相手に対し、「お互い様だから我慢しろ」と言われて我慢できるわけがない。また、「上の階にも、さらに上の階があり、そこでも同じ問題があるのだからお互い様だ」というのも違う。平気で乱暴な音をたてる人は、その上の階の人の足音は静かである可能性が高いのだ。少なくとも、人の振り見て我が振り直すだけの良識のある人ならば。
 この例で、上の階の住人の例として若夫婦に設定したのも意味がある。このサザエさん夫婦で問題なのは、自分の足の下に、他の人の生活があることを認知できていないこと。ラブラブなバカップルが迷惑なのは、自分たち以外の他者がそれぞれ人格を持った個人であることを認知できずに、「自分たち」に対する外の環境としてしか見えていない点にあるが、このサザエさん夫婦も同じこと。現代社会において、たまたま隣に住んでいるだけの他人の存在をいちいち考えたくないというのは、ある意味仕方のないことではあるが、共同住宅における「お互い様」の意味は、そこを全員少しずつ我慢して、他者への配慮もして生活しましょうということなのだ。
 ただ、サザエさん夫婦にも言い分はある。そもそも、自分の足音がどれぐらい下に響くのかがわからない以上、気をつけないといけないという発想自体なかった、というものである。そこには、もっと世の中全体での啓蒙活動は必要であろうし、そのためには、「子供の足音」に限定して話題にするのではなく、足音全般がとにかく問題なのだということを明らかにすべきであろう。でも、それよりも重要なのは、実際に下の階に被害が発生している場合に、それを上の階の住人が知ることである。「実はかなり足音が響くので、少し気をつけて下さい」「それは知りませんでした。これから気をつけます」というやりとりがスムーズにできれば、問題の半分は解決する。だが、そこが一番難しい。今の世の中では、そのやりとりを本人同士が直接やるのは大きなリスクを伴う。最近も騒音が原因と思われる殺人事件があったようだが、そういう情報があると、苦情を言われた側がおびえてしまい、逆に強い被害者意識を持ってしまって話がこじれる。もちろん、騒音の被害者側は積もり積もったものがあるので、どうしても感情的になる。
 しかし、いくら困難であっても、騒音被害において最もストレスがたまる原因が「被害の存在を相手が知らないこと」である以上、それをスムーズに伝えるための仕掛けを、賃貸マンションであれば貸し手側が提供するということも考えていく必要がある。といっても、民間業者では動きようがない部分もあるので、なんらかの法整備も必要だろう。だが、そのためには、「静かに生活すること」が人権の重要な構成要素の1つであるということについての認識が現状まだまだ低過ぎる。
 「騒音については、感じ方に個人差がある」という乱暴な一言により、騒音に苦しむ人の方が社会不適応者であるかのような扱いをうけることが未だにある現状では、騒音被害で泣き寝入りせずにすむ世の中はまだまだ遠い。副流煙による健康被害が明確になったことで分煙化が進んだように、上の例でイササカ先生が自律神経失調状態にまで追い込まれたことと、上階からの騒音の問題との因果関係を明確に認め、そのような事態を回避するための仕組みを行政レベルで作るための働きかけを、医学界の方から行うというようなことでもあれば、少しは状況が変わるのだろうか。
 ともかく、この国土の狭い日本では、マンションの騒音問題というのは、国民全体のQuality of Lifeを守る為には、決して小さな問題ではないのだ。

 なお、上の例で、イササカ先生の症状が妙に具体的な理由は、ご推察の通りである。このような駄文を書くことでなんとか精神の安定を保とうとしている、まさに現在進行中の状況を打破したくとも、この不況の中なかなか出口が見えてこない。

追記:もう1つ重要な論点を忘れていた。問題が本当に認知されていれば、マンション建築において「足音が階下に伝わりにくい工法」が開発されていてもおかしくないと思うのだが...。コストがかかり普及しないということなのであれば、それこそ行政からの働きかけが必要だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

結石

 昨日の朝、起きた瞬間から右脇腹に堪え難い痛みがあった。突然の激しい腹痛なので、虫垂炎か結石だろうと思ったのだが、前に結石をやった時は痛みはもっと背中側だった気がしたので、盲腸切るとなると、今抱えている仕事はどうなるのだろうと不安を抱えつつ、とりあえず近くの病院へ。普段医者にかからないので、以前健康診断で訪れた病院に行き、そこからさらに近所の胃腸科を紹介してもらい、そこまでは歩いて行ったのだが、そこでまた痛みが激しくなり、急患として紹介してもらった総合病院へはタクシーで。
 急患と行っても、総合病院はとにかく混んでいるので、待ち時間が多く、処置室のベッドを借りてのたうち回っていた。最初に痛み止めの注射を打ってもらうまでに1時間ぐらいかかり、それでもあまり効果がなく、座薬を入れさせてもらうまでさらに2時間。痛みが原因で吐いたのなんて初めてである。触診により、虫垂炎の可能性は低そうだったのだが、血液検査と尿検査の結果+レントゲンでも明確な所見は得られず、朝から何も口に入れてなかったのに、所見が得られるまでは水も飲むなというひどい仕打ち。最終的にはCT写真を撮ってようやく尿管結石と判明。出口がふさがれた右側の腎臓が左に比べて腫れており、小さい結石もCTに写っていた。その頃には座薬の効果で痛みも引いていたので、普通に医者とも会話もできたのだが、さっきまでのたうち回っていた姿を見られている看護師さんの視線を微妙に気まずく感じながら、半笑いで退散。
 結局、この日は朝から16時過ぎまで病院三昧で、いろんな検査をされたので、びっくりするような料金を払わされ、散々な目に会った。症状を抑止すると所見を得にくいという事情はわからんでもないが、これだけ患者が苦しんでいるのだから、最初で座薬入れてくれという感じである。痛みに耐えるのにどれだけ体力を消耗したことか。
 結石という病気は、よほど石が大きい場合を除き、「死ぬほど痛い以外には特に何も弊害はなく、自然に石が排出されるのを待つしかない」というなんとも厄介な病気である。弊害はないと言っても、腹部の痛みであるため、脳が通常の腹痛と誤認してしまうようで、著しく食欲が低下するのも困りもの。数年前に一度罹り、この病気だけは二度となりたくないと思ったのだが、どうも石が出来やすい質らしい...。まあ、痛みさえ抑止しておけば、多少朦朧としている以外は仕事もできるので、最悪の事態だけは回避できたのだが、正直この状態で仕事をするのは辛い。(でも締切は待ってくれない...)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

自律神経失調中

このままでは騒音に殺される。誇張ではなく。

いったい今年はこのマンションの周辺でどれだけの工事が平行して行われているのだろう。今この瞬間、私に耳栓の装着を余儀なくさせているのは、向かいの道路のガス工事。そもそも、ガスや水道の工事のために道路を掘り返すというシステム自体根本的に間違ってると思うのだが。先月あたりからずっと行われていたのは、反対側の道路を挟んだ向かいの古いビルの取り壊し工事。このマンション自体もいまDocomoの基地局を屋上に設置する工事で先週あたりに騒音の最初のピークが訪れた。他にもマンション等の建築工事が近所で何件かおこなわれている。

それでも、土木建築工事についてはやむを得ない部分もある。許せないのは商売のために騒音をまき散らす輩である。最近とみに酷いのは週末を中心にやってくる廃品回収業者の垂れ流す騒音。もちろん毎週火曜には大学堂も相変わらずやってくるが、他の騒音が酷いので相対的に目立たなくなってきている。あと、衆議院の解散を見越しての与野党の街宣車も同類である。そもそも移動しながら政治理念を語っても、伝わるわけはないだろう。(もちろん、マンションの前に止まってしゃべられたらなおさら迷惑だが。) 拡声器でしゃべるという行為自体が非文明的だとは思わんのだろうか。

ただ、実際問題として、ここのところ一番神経をむしばむ原因となっているのは、実は上の住人の足音だったりする。よく、子供が走り回る音がうるさいという話を聞くが、それはまだぬるい。大人が走り回る音の方がうるさいに決まっているのである。足音や生活音が階下にどう伝わっているかだけは、自分では認識しようがないので、本人がこれぐらいは普通と思っている以上、引っ越さない限り絶対に改善されない。上に新しい住人が引っ越してきてから、それまでの一番のストレスの原因だった向かいの家で飼っている犬の吠え声もまた相対的に全然目立たなくなった。頭上をバタバタ走り回っている音に勝るストレスなんて、そうそうないのである。

頭上の住人の活動は平日は早朝と夕方から夜の時間帯。朝は5時頃から夜は1時頃まで。朝9時から夕方までは、工事や販売車や街宣車の活動時間である。結局コンスタントに集中して仕事ができるのは夜中の1時から朝5時ぐらいの時間帯ということになり、在宅で仕事をしている以上夜型の生活が改善される目処は立たない。しかし、夜型であるならなおさら、夕方から夜の時間帯や早朝の物音は堪え難いので、今年は必要な場合は(自分の部屋なのに)耳栓をして仕事するようにしている。ただ、この耳栓が自律神経失調の最後のとどめとなったような気がしてならない。もともと、音楽活動がそれなりに出来ていた時期は、ヘッドホンのせいで外耳炎が慢性化していたのだが、耳栓はそれより不健康であり、人工的な無音(というよりも耳鳴りを聞いているような状態)は、明らかに神経のバランスを崩す。
また、夜型だと昼間寝ないといけないのだが、そこに今日のように不定期的に暴力的な騒音日が訪れると、完全に神経が寸断される。

多分、今年になってから、安眠したという記憶は1日もない。もちろん、その原因は騒音だけではなく、今年は原稿を書く仕事にオフシーズンがなく、短期的な締切と、自分でスケジュールを管理しないといけない長期的な仕事の遅れによるあせりで常に追い回されている状態(に加えて、ありとあらゆる諸々の内憂外患)がずっと続いているせいでもあるのだが、どうも常に身体がこわばった状態で寝ているようだ。それと起きている時間は四六時中パソコンに向かっていることもあって、慢性的な肩凝り、というよりも背中全体の痛みがあって、それが先週あたりから急激にひどくなってきている。一昨日あたりからついに背中から飛び火して左手の指先に痺れを感じてきたので、さすがにちょっとこれは病院なり整体なりに行かないとまずいか。まずはちゃんと睡眠はとって身体を修復させないと、と思いつつ、身体が痛くて眠れないという悪循環で、眠りたいのに眠れず困っていた所に始まった今日のガス工事。最悪のタイミングでアドレナリンが全身に回ってしまい、ベッドにいるのも苦痛となって、今ここで支離滅裂な駄文を書いているのである。

そろそろ耳栓によるストレスが限界まできているのだが、耳栓の外には暴力的な音圧がいまだに存在するのがかすかに感じられるので、外せない...。耳栓のまま無理して寝るにも、今度はそろそろ空腹で眠れないモードに...。でもここで飯なんか食ってしまうと、なおさら体内時計がわけわかめになってしまいそうだし...。

2月に本を無事出版できたら、いろんなことを整理しないと、ダメだ。でもまずはそこまで生き延びないと。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「大学堂」をぶっつぶせ。

 そろそろ声を大にして言ってもいいと思う。
 醜い曲を大音響で流しながらやってくるアイスクリームやホットドッグの移動販売の「大学堂」を、今すぐ取り締まれ。規制する法律がないなら、今すぐ立法せよ。東京中でどれだけ多くの人の憩いの時間を、あるいは、知的労働の時間を踏みにじっていることか。

 そもそも、なぜスピーカーで大音響を響かせて(住宅地をも)徘徊する移動販売というものが、法的に取り締まられないのか。どうして手前の商売のせいで何十万人ないし何百万人もの住環境が破壊される等という「巨悪」が見逃されているのか。
 以前から主張していることだが、人は目を反らすことはできても、耳を閉じることはできない。景観権なんかより先に、まず静かに暮らす権利を積極的に認めるべきである。騒音問題においてよくあるもっともらしい議論に、「騒音に関しては、感じ方に個人差があるから、一律に規制できない」というようなものがあるが、そんな悠長なことを言っている間に、「騒音を不快に感じる半数の人の犠牲のもと、騒音に対して受け身である半数の人の耳に醜い歌を刷り込むことにより、成長してしまった迷惑企業」などというものをのさばらせてしまっているのである。
 もちろん、「大学堂」に限らず、竿竹屋や、冬場の日石灯油(今もやってるのだろうか。子供の頃、これがうるさくてノイローゼになりかけた)など、あらゆる音を出す移動販売は禁止して構わないと思う。昔は(豆腐屋やチャルメラなど)その存在にも価値があったかもしれないが、流通の発達した現代社会においては、よっぽどの田舎を除き、明らかに社会的役割は終えている。今や、それは売る側のエゴ以外の何物でもないのである。
 その中でも、垂れ流す音の醜さ、不快さにおいて、「大学堂」は群を抜いている。そういう意味で、音に関する住環境を守るための仮想敵として、シンボル的存在にはなりうるだろう。(関東ローカルではあるが。)

 驚くべきことに、大学堂のホームページにおいて、移動販売車が垂れ流している音源がCDとして販売されている。さらには試聴も可能である。厚顔無恥とはまさにこのことだが、その騒音を録音して公開する手間は省けた。
大学堂HP:http://www.daigaku-do.co.jp/
移動販売で垂れ流されている音はこちら:http://daigaku-do.co.jp/modules/cd/index.php?id=10
(いきなり音が流れるので注意)
この音源そのものが、スピーカーを歪ませる大音響で垂れ流されているのである。もともと派手な曲が大きな音で流されるよりも、こういうしょぼい音源が汚い音で大音響で流される方が、暴力度は高い。

 不買運動をしようにも、そもそも騒音を不快に感じている人は最初から買わないだろうしな(苦笑)。このまま音の暴力に晒され続けていると、自分自身が中島義道の世界に行ってしまいそうで怖い。まだあそこまで世捨て人にはなりたくないのだが...。
#お察しのとおり、今も「大学堂」の襲撃をうけ、仕事も思考も寸断されてしまったので、精神のバランスを保つためこれを書いているのである。世の中暗く澱んだ重いニュースばかりの中、それを受け止めて消化するための思考も、昇華させるための癒しも、全てぶち壊される音の暴力なんかについて書かないとならない自分が情けないが、それこそ音の暴力の暴力たる所以である。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

ブランク

 一昨年の秋からジムに通い始めてから、初めて4週間以上もブランクを空けてしまった。今までは長くても10日ぐらいしか間隔を空けていなかったのだが、本当に余裕のない時期は仕方がないか。
 昨日で1つまた原稿の締切を乗り切ったので、今日はほぼ1ヶ月ぶりにそのジムに行ってきた。体力がどれだけ衰えてるかと不安だったのだが、とりあえず30分のランニングは同じペースでこなし、ウェイトトレーニングも特に変わりなく...と思ったのだが、サーキットトレーニングの2ラウンド目で、突然辛くなり、立っていられなくなってベンチで休憩。休めば回復するかと思ったが、まるで全身に毒でも回ったように、顔面蒼白(見てないけどたぶん)で、吐き気や悪寒もしてきて、ベンチにもすわっていられない状態。指先も震えている感じで、こりゃやばいと思い、多目的スペースまでなんとか自力で移動して、マット敷いて横になる。(軽い脳貧血ってやつですな。) 数分休んでようやく通常に戻ったのだが、やはり4週間のブランクは大きかったようだ。身体のパーツ毎には以前通りに力も出るのだが、全体として衰えているので、逆に危険。忙しくても、身体の調子を把握する上でも、1週間以上は空けないようにしないと...。(苦しんでた最中、ジムのスタッフがだれも異変に気付いていなかったのも、どうかと思うけど。)
 ちなみに、この1ヶ月で身体はかなりぷよぷよに逆戻りしてしまったのだが、筋肉が減った分、実は体重も落ちていた。これで今度は体重を増やさずに脂肪を筋肉に変えていけば、効果的なダイエットに...って、んなわけないか。
 ここのところ、食生活もかなりヤバく、締切間際で飯食いに行く余裕もないときは、まるでLのように「チョコレートで脳にカロリー補給」みたいな感じになってた。多少次の締切まで余裕のある今週は、数週間前に挫折した締切前倒し作戦を再開して、掃除洗濯入浴食事のための余裕だけは常時確保しないと、5月までの長丁場(4月後半にちょっとだけ中断期間があるが)は乗り切れない。

 音楽活動再開は、まだ先。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他もろもろ

 ここのところなかなかここに書いている余裕がなかったので、その他もろもろまとめて。

・ジム通い1年継続達成
 初回が去年の10/16だったから、先週でちょうど1年。今年の10/15までに通った回数は、118回。3日に1回よりは少ないが、週2回よりは多いペース。1回のメニューは、30分のランニングと、9種目の筋トレを2ラウンド(+サウナ、風呂)。あくまでも健康維持が目的で、ダイエットにはこだわらないという方針だったが、一応多少体形の変化も見られるようになってくると、欲が出てくる。一度でいいから、わき腹のだぶつきと下腹部のポッコリが全くない状態になってみたいなどと思ったり。
 下腹部に関しては、どうやら問題は普段の姿勢にあるらしいことが判明。どうしてもパソコンに向かって仕事してると、背中を丸めていることが多いが、それではいくら腹筋を鍛えても、下腹部は凹まない。なので最近は、24時間とにかく気がついたら胸を張って下腹部に力を入れるようにしている。また、腹筋とは別に、仰向けにまっすぐ寝て、伸ばした足をまっすぐ上げる運動も。これは簡単なようで意外と効く。

・自転車で池袋
 先週の日曜に、江古田文化圏に住む友人宅の飲み会に呼ばれたのだが、地元民以外は自分だけで、一人終電を気にするのも面倒だったので、思い切って自転車で出かけた。実は池袋までは一度自転車で行ったことがあり、その時は片道約55分かかったのだが、今回はさらに先。ちなみに池袋までのルートは、三ノ輪の交差点からひたすら明治通りを走るだけであるが、「明治通り」と呼ばれる道自体が、途中何回か直角に曲がっている。夜で涼しかったこともあり、そんなにきつくもなく、適度な運動というレベル。意外と東京も狭いものである。

・歯医者その後
 週1ペースで通っているが、削るでも抜くでもなく、仮詰めを取り除いて中の様子を確認してまた仮詰めして終わりということを繰り返しているので、これで本当に治療が進んでいるのかどうにもよくわからない。一応、歯根が1箇所膿んでいた部分を、抜かなくてすむように自然治癒力を働かせているということらしいのだが、どうもなかなか明確な説明をしてくれないので困る。今は特に痛くはないので、それはいいのだが、ともかくいつまでかかることやら。

・ヤットが心配/さらば牛島監督/シューマッハラストラン
 スポーツ関係で気になる話。
 ガーナ戦の時の記事を最後に、ここの書き込みが止まっていたのだが、インド戦を欠場してその後ウイルス性肝炎と判明して入院したサッカー日本代表の遠藤が心配である。遠藤は前から気になる選手であり、今まで特定のチームは応援してなかったJリーグも最近好調だったガンバ大阪を応援しようかと思っていた矢先なので、ショック。確かに、今年の遠藤はどう考えても働きすぎだわな。そのあげくW杯では出番なしというひどい仕打ち。だからこそこれからは遠藤の時代だと思っていたので、なおさら胸が痛む。今期はほぼ絶望のようだけど、ちゃんと完治するものなのかどうかも定かではないし。ガンバも前節イヤな負け方をして、レッズとの差が2ゲーム。ともかく、一日も早い完治を祈るのみ。
 サッカーで他に最近気になる選手は、レッズの闘莉王。最初はあのキャラはそんなに好きではなかったのだが、奴の日本人離れした力強さは得難い魅力である。攻撃参加している時は、完全にFWの顔をしてるし。闘莉王とワシントンがいるレッズが強いのはなんか当然という気もする。その分、田中達の影が薄くなっているのが残念だが。
 野球では、自分としてはとにかくYBの牛島監督が辞めて大矢監督になったのが気になる。牛島さん自体は悪くはなかったと思うのだが、とにかく今期の成績はあまりにもあんまりだった。大矢さんといえば、1998年こそ権藤氏に監督を譲ったが、そのチームの土台を作った人であるが、当時は佐々木もいたしローズもいた。今もクルーンはいるけど、あとは...。多村あたりがシーズンを通して期待通りの活躍をしてくれる日は来るのだろうか。
 最後は、やっぱりシューマッハ。イタリアと中国の奇跡の連勝でアロンゾと並んだ時は、かなりシビレた。鈴鹿は残念だったが、ブラジルでは、パンクのトラブルも、逆に最後に異次元のオーバーテイクをたくさん見れてよかったのではないかとも思う。シリーズチャンピオンはアロンゾをリタイアさせない限り無理な状況だったので、ラストランで優勝というシナリオもいいけど、チームメイトのマッサと、次の世代を牽引すべきアロンゾに花を持たせて、自分自身も記憶に残る走りを見せたこのレースも結果オーライ。それにしても、来期シューマッハのいないF1なんて、自分は見るだろうか...。最終レースでようやくF1のお荷物ではない走りを見せたSUPER AGURIに期待、するのかなあ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歯医者通い

 前回がいつかよく覚えていないが、おそらく10年ぶりぐらいに歯医者に行った。(去年、区の歯周病検診を受けたのは別にして。)外から見て虫食い始めている歯は他にもあるのだが、数日前に急に痛みだしたのは、金属でかぶせ物をしている奥歯(詰め物ではない)。その歯で噛んで圧力がかかると、キリキリと痛むようになってしまったのである。金属で覆われている中だけに、かなりヤバイことになっているのではないかと不安になり、近所の歯医者を予約したのだ。
 レントゲン撮影をして、いずれ親知らずも全部抜いた方がいいというような話をしたあと、「ではまずこのかぶせてある金属を取らないと治療できないので」とおもむろに金属を削りだし、なんか外れたなと思ったら「では口をゆすいで下さい」と言われ、これからついにあの阿鼻叫喚のドリル地獄が始まるのかと思い心の準備をしていると、「今日はこれで結構です」って...え?ええぇっ???
 舌で触ってみると、なんだか切り株みたいな情けない感じになっている歯の土台だけが残っている。で、次回の予約をしたら、「予約がいっぱいなので、来週の金曜日でどうでしょう」って...このまま一週間以上放置? いやたしかに今日は痛みは治まっていたけど、金属のガードも外してしまったら今度痛みだしたらもっとひどいことになるのではないかい? 食事にも不自由するし。ってゆーか、歯の治療ってこんな悠長なペースだったっけ? レントゲンも撮って3割負担だから、結構いいお値段も取られたし。なんだかとっても先行き不安。
 ちなみに、今切り株状態になっているのは、以前1本だけ抜いた右下の親知らずの隣の歯。左下の親知らずも斜めに生えているため、隣の歯と衝突している所が欠損しており、やたら食べ物がはさまるので、自然と右側でばかり物を噛むようになっていて、その結果逆に右側の方が先に痛んだようである。その左下の親知らずもいずれ抜かないとダメだと言われ、相方を失う(1本は既に失っている)上の親知らずも抜いたほうがいいということなので、今の治療が終わったら、その3本の抜歯をどういう段取りでやるかを考えないといけないようだ。斜めに生えている親知らずの抜歯なんて、ほとんど外科手術だし、なんとも気が滅入る話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ねちがえました。

 首筋と背中は、なんだか年がら年中痛めているのだが、今回の寝違えはわりと重症。道を歩いていて安全確認するにも首に手を当てて体全体を振らないといけなかったり、のどがいがらっぽくて咳払いをするのも大変だったりといろいろあるが、一番辛いのは...うがい。
 外から帰ってきて、うがいをしようと水を口に含んで、首を後ろに曲げようとするが、曲がらない。仕方がないので、首筋を手で固定して、「イナバウアーか!」と突っ込みをいれつつブリッジのような体勢でひざも曲げ身体全体を反り返らせて無理やりうがいらしきことをするが、なんせ身体が硬いので、角度が足りず、明らかに水がのどの肝心な所に当たっていない。
 とにかく、そうでなくてもテンションどん底かつクソ忙しいところに、この仕打ちは最悪である。おまけに、ここにきてカゼとまではいかないが、胃腸の調子が悪く、全身ダルダル。

 そもそもなんでテンションどん底かっていうと、予備校の方の仕事のスケジュールがあまりにも立て込んでいるため、音楽方面のコンペを2件まとめてぶっとばすハメになったためである。先月半ばの時点で、とりあえず予備校方面の仕事を前倒しでがんばってなどと言っていたのだが、コンペの話が来たので先のスケジュールまで確認してみると、目前の締切はクリアしていても、実は先の締切がありえない密度で並んでおり、逆算すると前倒しどころか他の事を全て止めて注力してもギリギリ間に合うかどうかという線表になっていることがわかり、泣く泣く当面の音楽方面のチャンスを全て放棄して、今不毛な自宅缶詰状態になっているのである。
 こういう、頭だけはやたら使うが、アウトプットはとてもクリエイティブとは言えず、人と会うこともなく、時間と精神力ばかりエンドレスで浪費するような仕事を延々とやっていると、数ヶ月単位の時間が一瞬にして過ぎ去ってしまう。せめて友人と会う時間でも作れればいいのだが、たとえ自分の時間は空いても、生活のペースがあまりにも人とかけ離れていると、日程調整もままならない。かなりヤバイ精神状態になりつつあるが、とにかく今は乗り切るしかないので、完全に崩壊する前にトンネルを抜け出すことを願うのみである。予備校の方の仕事のシーズンオフにはとにかく態勢を立て直して、今年こそは自分にとって楽しいと思える何か新鮮な内容を含んだ音楽活動を展開せねば、と思う。

 とりあえず、心も身体もSOS。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

脂肪遊戯

 ...って、それいつの時代のオヤジギャグだ?

 徹夜明けの最悪のコンディションで帰省して、そのまま普段の倍以上の量の夕食を摂らされて、翌日(親戚一同で桜島の国民宿舎で一泊)の移動中には寝不足と食いすぎのせいで思いっきり車酔いしてゲ○は吐くは、夜は実はここでこそ必要だった耳栓(理由はご賢察を)を持っておらず、まんじりともしないまま朝を迎えるはで、えらい騒ぎの三泊四日。少なくとも摂取したカロリー数はとんでもないことになっていたはずなので、東京に戻ると同時に、とるものもとりあえずジムに行って身体動かしてから、おそるおそるジムの体重計に乗ったら、意外なことに帰省前よりほんの少し減っていた。まあ、体調崩した分、吸収されなかったのだろうと思い、一旦はほっとしたのだが、帰宅してあらためてTANITAの体脂肪率計付き体重計に乗ってみると...え?...体脂肪率が帰省前より6%も増えてる...。
 これは何かの間違いだ。そうだきっと電極に触れている足の裏が乾燥しているせいだろう。足をお湯で戻してから乗ってみた。やっぱり変わらない。しばらく時間をあけてまた乗ってみた。やっぱり変わらない。この数字だけ見ると、完全に肥満体の領域。
 嘘だと言って。夢だと言って。幻だよと...。(涙)

 実際のところ、このTANITAの体重計は時々不可解な体脂肪率を表示するのであまり信じてはいないのだが、不健康な生活でせっかく今まで積み上げてきた物が一気にダメージを受けたのも確かである。また1から絞り直しか。嗚呼無間地獄。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧