川崎・チネチッタ

 いろいろお世話になっている雑賀俊郎監督の映画「チェスト!」を、4/30のレイトショーで川崎のチネチッタで観賞。鹿児島が舞台の物語でもあり、観ておこうと思っていたのだが、4/30の夕方に仕事が一段落して上映館を検索したところ、今の生活時間のサイクルと照らし合わせ、川崎でこの回を観るのが一番落ち着いて観れそうだと判断して急遽出かけたのである。
 チネチッタに最初に行ったのは「パプリカ」の時だが、日比谷線三ノ輪からだと秋葉原での1回の乗り換えで、実は結構楽に行けるので、公開されてから時間が経って上映館が減ってきたような映画に行くときは、ちょくちょく活用している。今回、終演が23:20頃でも問題なく電車で帰れることが判明したので、これからもお世話になりそう。

 「チェスト!」は、鹿児島市の松原小学校で(今も?)実際に行われている、錦江湾横断遠泳大会をモチーフにした物語。
 正直に言うと、現実世界において(たとえ参加は自由意思という建前としても)全員可能な限り参加することが望ましいという空気のもと、学校行事として行われる遠泳大会などというものが存在することの是非については、私自身は完全に否定的な見解を持っている。そこまで大きな「理不尽」を全員に対して一律に設定するというのは、今の時代にはなじまない。
 ただ、この物語の主人公の少年たちは、その理不尽な状況を、自分たちがそれぞれに抱えている別の問題を乗り越えて昇華させるための装置として、賢くたくましく利用することができたのである。
 ハッピーエンドの物語が感動を呼ぶのは、助け合いつつ自助努力をした結果、自らの手でつかみ取った良き結末だから。そういう意味では、その遠泳大会の存在自体が適切なものであるかどうかは物語の本質とはあまり関係はない。あくまでも主役はその状況におかれた子供たち。だからこそ、私のように「自由意思によらない根拠のない集団行動」ができないひねくれ者であっても、子供たちの姿には思わず涙腺がゆるむ場面もあったのだ。
 (ただ、地元ではこの映画が遠泳大会の正当化のために利用されるのではないかという不安は否めないが...。)

 ちなみに、自分の通った高校では、「桜島一周夜間行軍」というイベントがあった。(恩田陸の「夜のピクニック」みたいなものだが、決定的に違うのは...男子校だったことである(涙)) 今思えば、生徒側に参加拒否権が明確に設定されてなかった気もするし、これも理不尽といえば相当に理不尽だが、自分はといえば、単純に夜歩くというイベントが楽しくて、嬉々として参加していたようである。脳天気なものだ(苦笑)。大人びていた連中の中には、耐え難い出来事だと思っていた奴もいただろうなあ。

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「ピアノの森」

 もう1枚借りていたDVD、映画「ピアノの森」を観賞。無防備に観ていたら、なんだか涙がぼろぼろ出てきてヤバい(笑)。映画は、物語が始まったばかりのところで終わるのだけど、だからこそこれから始まる彼らの本当の物語への予感に震えるのだ。無自覚な天才の目覚め、かつて翼を失った者のその天才に賭ける想い、努力の秀才とその天才の出会いと葛藤、どれも普遍的なテーマではあるけれど、それらがギュッと濃縮されて、美しいピアノの音色と結びついて生まれた珠玉の作品。
 多分、映画で描かれた着地点あたりが、彼らにとって一番美しくある意味一番幸せな季節だろう。そのはかなさに思いを馳せてオジサンはまた涙するのだ。そして思う。一ノ瀬海のように生まれたわけではなく、雨宮修平のように生きてきたわけでもない自分でも、もう一度自分のことを好きになって、まだ前に進むことができるだろうか、と。

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「Queen」

 久々の映画。日比谷シャンテ・シネで「Queen」。マッチョなボーカルのバンドではなく、英国の女王様のお話。
 現代のイギリスにおいて王室がどう見られているかがよくわかって面白く、王室ゴシップ好きのイギリスにしては、エリザベス2世の内面について(憶測とは言え)好意的に深く描かれている。...が、なんだろう、この違和感は。その違和感の主な原因は、描く側と描かれる側の立場のあまりの不対称性にあるのだろう。女王は自らが女王であることを選べない。自らの考えを自由に述べられる立場にない。そのような立場にまさに今現在いる人物について、自由な立場にいる者が(それがどこまで当たっているかは別にして)内面描写も含めここまで徹底的に王室の側から見たかのように描いてしまうという所に、違和感を覚えるのである。これがフィクションであれば、女王役の女優の演技も素晴らしいし、エリザベス2世側に感情移入して見ても非常に興味深いのだが、ダイアナ元妃の死という実際の出来事に対する王室の対応の舞台裏にあったかもしれない葛藤の物語を、まだ健在の女王本人の監修なしに、あたかも実話であるかのように描いてしまう/観てしまうというのは、表現者/鑑賞者のモラルとして許されるべきことなのかどうか、その1点が最後まで引っ掛かった。面白みには欠けるかもしれないが、ドキュメンタリーに徹するか、さもなくば、設定を変えてフィクションに徹するか、どちらかにすべきだったのではないかという疑問がぬぐい去れないのである。若くして女王となり、近代化による世の中全体の価値観の変化に翻弄されながらも気高く君臨しているエリザベス2世という、実に興味深い人物を描きたいという圧倒的な誘惑が存在したということは、大変よく理解できるのだけど。
 面白いか面白くないかと言われれば面白い映画である。しかし、その内容は、あくまでも眉につばをつけて読むべき、東スポの記事と同レベルのものであるということは決して忘れてはならないと思う。
 それにしても、エジンバラ公のあのひどい描かれ方は、アリなんですかね?実際にも不用意な発言の多い人物だという風評はあるようだけど...。

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「パプリカ」

 先週土曜日から公開されている映画「パプリカ」を、月曜日に観に行って来た。都内では2箇所で公開されているのだが、どちらも映画館自体がかなり古そうだったので、わざわざ川崎のチネチッタまで足を伸ばす。Yahoo映画の映画館評で、あまりに評判に差があったので。最近のシネコンの絶対的にいい点は、間違っても「前の人の頭で見えない」なんてことがないところ。逆に、後ろの人に気を使って、気がついたら身体が沈み込んでて腰を痛めてるなんてこともない。月曜の初回上映という、まともな社会人なら絶対に行けない回で観たので、「初日は立ち見が出る大盛況」というネットニュースが信じられないぐらいのゆったりとした感じの客の入りで、ゆっくり鑑賞。
 筒井康隆の原作は、実験的な表現や、夢と現実の狭間で深層心理を描いているが故のかなり刺激的な内容を含む、濃い長編小説なので、映像作品にするにあたってはストーリーとしては相当ざっくり削ったり変更したりもしているが、そのかわり、アニメ映画でしかできない「悪夢の映像化」という部分で作り込んでおり、もう一つの「パプリカ」としてそれなりに完成度の高いものとなっている。今までだれも見たことのない物を見せるというのが映像クリエーターの使命であるとするならば、少なくともその使命は十分果たしている。ただ、誇大妄想狂の夢の中のイメージの大行軍が、わりと映画の中の早い時間帯から出現して、その後終盤までその行軍が続いてしまうことによって、他のディテイルの秀逸さがかき消されてしまい、全体として一本調子な印象が残ってしまったのは残念。
 小説の内容からはかなり削っているとはいえ、相当に詰め込んである部分もあり、原作とはずいぶん違う分、原作を読んだ人でも繰り返し見ることにより新しい発見はあるだろう。後でもう1回DVDででも観てみたい気がする。
 それにしても。映画ではかなり薄められているとはいえ、深層心理に潜むインモラルな部分を解放しているようなところがあるこの作品に、小学生低学年ぐらいの子供を連れて観に来ている親がいたのだが、あれはどうなんだろう。恐らく親としては、筒井康隆もよく知らず、あの行進のイメージから「千と千尋」みたいな物を想像してしまったのではなかろうか。ううむ。

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「日本以外全部沈没」

 この日最後は、渋谷シネセゾンのレイトショウでこの作品。あの筒井康隆の迷作短編のまさかの映画化である。言うまでもなく「日本沈没」のパロディであり、内容はタイトルそのまんまである。原作もどぎついブラックユーモアにあふれた作品なのだが、なんせ30年以上前の作品であり、しかも10ページ程度の短編なので、ネタは今の国際情勢を踏まえて全面的にリニューアルの上、映画用に膨らませてある。
 正直言うと、文学におけるこういう過激にブラックな作品を、そのまま映像化したからいいかというと、必ずしもそういうものではないと思う。さらに、ネット社会になって、一般市民が匿名で悪意に満ちた言論を節度なくばらまくこの時代に、「表現のプロ」が提供する文学や映像作品における「ブラックな表現」というものの役割は一旦リセットされてしかるべきだとも考える。なので、今回の映画化には、「あの作品を本当に映画化してしまった」という意味以上のものは特に期待していなかったのだが...筒井ファンにとってはその「本当に映画化してしまった」という部分のインパクトが大きいのである。
 それに、どんなことでもまずは笑い飛ばしてしまうことの力というものをまだ信じていたいという思いも一応ある。でも、すぐ横の席で見ていた(私と同世代か少し上ぐらいの)オヤジが、最近の東アジア情勢にからんだネタばかりにやたら過剰に反応して笑っているのを見たりすると、それは何かがずれてしまっているのでないかという気もする。
 ちなみに、私自身は、最後まで含み笑いやら忍び笑いをしながら楽しく鑑賞。ところどころ苦笑い。
 いずれにせよ、善くも悪くも、一昔前のアングラのにおいのする作品である。なんせ、観に来ている客がみんな怪しい(爆)。よく考えたら、この日観た3作品は、どの2つをとっても客層がほとんど重ならないのではないかという気がする。少なくとも、この3本を同じ日に観た者は、他にだれもいないだろう。
 そういえば、各国の元首が集まる店で、「パーティーで主役を取る!」に出演してたプリマベーラがイリュージョンを披露してたなあ。こんなところでお目にかかれるとは。

 筒井作品の映画化といえば、この夏公開されたアニメ版「時をかける少女」はやたら評判がよかったが、あれは初期のジュブナイルSFで、文学としての筒井作品の中では決して重要な位置づけのものではないので、なんとも微妙な感じである。筒井作品ということとは関係なく後でDVDででも観てみたいけど。同じアニメでも、もうすぐ公開される「パプリカ」は、まさしく近年の筒井ワールド。これは忘れずに観に行かねば。パプリカ役が林原めぐみ。うーむ、なるほど。

061115_2 1日に映画を3本もハシゴしたのなんて、いつ以来だろう。(もしかしたら、初めてか。)レイトショウが終わり、渋谷駅に向かう途中、ふと見上げると、東急のビルの壁に人がぶらさがって、おそらくはクリスマス向けの装飾の準備作業をやっていた。もうそんな季節か...。

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「いちばんきれいな水」

 前からちょっと気になっていた作品なので、この機会に豊洲まで足をのばしてみた。
 ある病気で精神年齢8歳のまま11年間眠り続ける姉が突然3日間だけ目を覚ましたという設定の、ちょっと不思議な一期一会の物語。幼少のころは一緒に過ごしたのだし、寝顔は毎日見ているのだから、一期一会というのとはちょっと違うかもしれないが、やはりその言葉が一番ぴったりくる。もちろん、そこには(男にはなかなかわかりにくい)「姉妹」という関係性もあるのだろうけど。加藤ローサと菅野莉央というキャスティングは大成功。精神年齢8歳の19歳という役を、イヤミなく(演技でもなく(笑))演じられる加藤ローサと、天才子役の菅野莉央。まさにこれしかない組合せである。
 せわしない日々の中で、ふっと時間が空いた時にでも見たい、あったかくかわいらしい映画である。(といっても、東京での公開は、渋谷シネクイントのレイトショウを除き、今日で最後なのだが。)
 しかし、去年の夏に撮影した、夏休みの物語の映画なのに、今年の10月に公開というのはちょっと不思議。たしかに、夏休み映画の大作の山の中に埋もれさせるのは得策ではなかったのかもしれないが、中高生層の入りはどうだったのだろう。ちなみに、この日は当然のことながら若い主婦層中心。

 ユナイテッド・シネマ豊洲のみ併映のスピンアウトストーリー「夏美のなつ」は...三井不動産による「ららぽーと豊洲」(このユナイテッド・シネマ豊洲も入っている)を中心とした再開発地域のプロモーションフィルム。いや、別にそれを上映するのは構わないのだけど、本編上映後やたら長いインターバルをとって、その間無音のまま照明はついた状態で待機させられたので、客席を流れる声も立ててはいけないようなビミョーな緊張感がなんとも言えず(苦笑)。

 その「ららぽーと豊洲」だが、10月5日にオープンしたばかりらしい。最近よくある非常に近代的な作りの大型ショッピングモールである。週末はともかく、平日の昼間はまさに主婦と子供と老夫婦のためのワンダーランド。土日の関係ない私としては、安くてそこそこうまいランチの選択肢も豊富で、映画館もありという、この手の商業施設がそばにある暮らしというのは結構うらやましい。ただし、食事中子供の泣き声は我慢しないといけないが。
061115_1 上映前にちょっと時間があったので場内をうろうろしてたら、最近話題の「キッザニア東京」を発見。なるほど、これがあるのがここだったのか。その後、サンマルクカフェで元祖チョコクロを初めて食う。上映後には「餃子の福包」で、焼き餃子と坦々豆腐と高菜ひき肉飯で腹ごしらえ。どれもうまかったのだが、店員の致命的なミスにより、非常に残念な印象に。いつも思うことだが、ミスを1つするのは仕方ない。でも、そのフォローを失敗してさらにミスの上塗りをするのは、客は許さない。(...でも、やっぱり料理自体は安くてうまいので、もう一度食いに行きたいと思っていたり。どう考えてもビールを頼みたいメニューで、夜の部があるので我慢してしまったのが、なんとも心残りなのである。)

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「父親たちの星条旗」

 戦争映画というものを一度はちゃんと観ておこうということで、本作品を選択。戦時キャンペーンの茶番と実際の戦場の悲惨さを対比して描いている。内容についてはここで今更語るまでもないが、日本人から見ると、ネイティブアメリカンの彼を除き、兵士達の顔の区別がつかず、人物関係が正確に把握できないまま終わってしまったのは残念。(同じことを「虎ノ門」で蛭子能収も言ってた。) それと、日本側からの視点で描いた第2弾は、予告編を見た限りでは、あんまり観たいとは思わなかったのはなぜだろう。
 音楽担当は、クリント・イーストウッド自身。実際にどのレベルのアレンジまで本人がやっているのかはわからないけど。簡単なゆったりした旋律を、変奏曲のようにして全編通して使っている。その音楽で、「あれ?」と思ったことが2回あった。1回目は、山の頂上に最初の国旗を立てるシーン。そこで、作戦成功のカタルシスを表すような感じの曲が流れるのである。それがこの映画のトーンから考えて「あれ?」だったのだが、その後、お偉方がその旗を記念に欲しいと言ったために旗を立て替えて2本目の旗を立てる茶番劇のシーンで、実は再び同じ曲が流れたのである。つまり、ここではその茶番劇を強調するために、あえてこの一見ポジティブな曲が使われたのである。その意図は一応わかったのだけど、このシーン以外では音楽はあくまでも背景として用いられていて、ここでのみ唐突にパロディ的な意味合いを持って自己主張しているのが、非常にバランス悪く感じ、違和感を覚えた。それが2回目の「あれ?」。
 凝った演出で、逆に非常に効果的だと思ったのは、軍の資金集めのキャンペーンの式典での花火と、戦場の砲火をダブらせて見せているところ。それが、セレモニーのしらじらしさと、兵士が実際に経験した戦場の凄惨さの両方を見事に印象づけている。
 ちなみに、見たのは上野のちょっと古い映画館。「戦争映画」「上野」「平日午前」ということで、観客の90%が年輩の方々。

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映画3連発

今日の映画三昧。

「父親たちの星条旗」上野東急 10:45〜
「いちばんきれいな水」ユナイテッドシネマ豊洲 17:15〜
「日本以外全部沈没」シネセゾン渋谷 21:20〜

無茶苦茶なラインナップですな。
最後ので全部台無し(爆)。
でも、この3本を見るなら、この順番しかないかも。

どれもそれぞれに見甲斐はありました。詳しくは後日。
途中、ちゃんと髪も切りに行けたし、充実した一日。

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アニメ「巷説百物語」DVD-BOX

 前からその存在は知っていたのだが、巷のレンタルショップ等では見つからず、先日(といっても、だいぶ前だが)、忙しくてむしゃくしゃしてた時に、Amazonで衝動買いしてしまった。ご存知京極夏彦の連作短編を原作としたアニメ作品。2003年10月から1クール、地方局で放送されたもの。
 原作とは違う所は多々あるのだけど、アニメならではの表現の必然性のもと、独自の世界が構築されているので、逆に原作を踏まえたパラレルワールドということで違和感はない。作画も、こだわって書き込んだ部分と、大胆に省略してデフォルメした部分とのメリハリも効果的で、冒険的な表現も破綻せずにしっかり構成されており、非常にポテンシャルの高い制作現場だったことが窺われる。
 京極夏彦の大きな2つの妖怪シリーズ(「姑獲鳥の夏」に始まる長編推理物と、百物語シリーズ)は、基本的に同じような構造を持っている。語り部であり、読者と同じこちら側の世界の住人である主人公(関口や百介)が、「妖怪」のからんだ怪しい出来事に巻き込まれ、怪の世界に通じている仕事人(京極堂や又市たち)がその「妖怪」を始末する(必ずしも退治しているわけではない)。ただし、この仕事人たちのやっていることは、いずれもタネも仕掛けもあることであり、始末しているのは人の心に住む妖怪である。しかし、京極堂の口癖のように「この世に不思議なことなど何もないのだよ」と仕事人たちが言えば言うほど、読者はそこにまぎれもなく存在する妖怪の姿を見てとることになる。このアニメ版「巷説百物語」は、製作者自身が述べているように、あえて又市たちを「不思議な」存在として描いている。それでは世界観が真逆ではないかと思われるかもしれないが、そうではない。本当に描きたいのは、こちら側の世界と怪の世界の狭間にはまりこんでしまった者たちであり、それを描く上でのアプローチの違いにすぎない。小説とは違い言葉で心理描写が出来ないかわりに、目に見える物については身もふたもなく描いてしまえるアニメにおいては、又市たちにも非現実の要素を残した方が、描きたい世界に近かったということであり、実際それは奏効している。
 まあ、そんな分析はともかく、独自の異世界にいざなってくれる良質のエンターテインメント作品であることは確か。(デフォルメされていても、どぎつい表現を受け付けないという人にはあえて勧めはしないが。) ケイコ・リーの歌うOP/EDも、かなり耳に残る。DVD-BOXは約2万円也で少々お高いが、損はしないと思う。

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日本以外全部沈没

...「日本沈没」と聞くとこれを思い出してしまう私は、日本SFの良き時代を横目で見ていた世代である。

 さて、今日はなんとか天気が持ちそうだったので、錦糸町で「日本沈没」を見てきた。いやな予感はしていたが...これは決して「小松左京原作の『日本沈没』」を期待して見てはいけない。日本が沈没するというアイディアとタイトルだけを拝借した似ても似つかぬ全くの別物である。恐らく、小松左京自身も、この映画に関しては一切コメントしていないのではないかと想像される。あの重厚な小松作品を下敷きにして、どうすればこんな安っぽいセカイ系の映画が出来るのか、不思議で仕方がない。まあ、原作を忘れてお気楽に見るハリウッド映画のつもりで見れば...今度は日本映画の演出のダサさが目に付くわけで(苦笑)。
 ともかく、「日本沈没」は、全く救いのない設定だからこそ意味のある話であって、沈没を途中で止めて明日への希望なんか見いだしたら、なんの意味もないのである。小松左京も草葉の陰から泣いておるよ。(...って、小松左京先生はまだ生きておられますが。)
 原作を知らない人が、スペクタクル映画として楽しむ分には、そんなに悪い選択ではないので、念のため。ただ、主役の2人の演技はあまり好きじゃない。とりあえずヒロインは大地真央ということで納得しておこう。

 「それ原作でも原案ですらないだろう」と言えば、テレ朝の「富豪刑事」もそうである。これも、一昨年の最初のシリーズは、まだ筒井康隆の原作のストーリーを下敷きにした部分もあり、ホリプロタレントでもある筒井御大も役者として出演したりしていたのだが、さすがに「デラックス」の方は見捨てた模様。最初のシリーズは、「あの」富豪刑事をドラマにしてしまったというインパクトと、御大の神通力により、深田恭子のさむーい演技がギャグとしてうまく昇華していたのだが、今回のは、ただただ寒いだけで、シナリオもボロボロ。あれは、御大としては「筒井康隆原作」という文字を外して欲しかっただろうなあ。

 で。さっき「日本以外全部沈没」で検索してみたら、これも映画化されてもうすぐ公開らしい(笑)。このタイミングで「日本沈没」とぶつけてくるあたりのゲリラ的なやり方が、いかにもB級映画っぽくてよろしい。ただ、「日本沈没」の方が原作とかけ離れたものになっているので、肩透かしを食らった格好かもしれないが。これには、筒井御大も出演しているようである(爆)。

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