「オリビアを聴きながら」

 1年半ほど前に、「コード進行の素晴らしい名曲」を順次コード起こししていこうという企画を始めて、1回だけで中断(苦笑)していたのですが、ようやく第2回です。(前回は→これでした。)
 今回取り上げるのは「オリビアを聴きながら」。言わずと知れた、尾崎亜美が杏里のデビュー曲として書いた日本ポップス史に残る名曲。コード進行を見ても、名曲の名曲たるゆえんがわかります。下のコード進行は、杏里のバージョンではなく、亜美さんが弾き語りで演奏する際のものから採っています。Gキーの曲ですが、コード進行の構造をわかりやすくするために、Cキーに移調したものも並記しておきます。

(オリジナルキー)
[G][D/G][Dm7 E7][Am7]
[Cm7 Eb/F][Bbmaj7][A7][D7 C/D D]
[G][D/G][Dm7 E7][Am7]
[Cm7 Eb/F][Bbmaj7][A7][D7 C/D D]

[Cmaj7 D/C][Bm7 Em7][Am7 D7][Gmaj7 Dm/G G]
[Cmaj7 D/C][B7 Em Em/D][A7/C# A7][Am7/D D7 B7/D#]
[Em Eb+5][G/D C#m7-5][Am7 Am7/D]

間奏[G][D/G][Cmaj7 Bm7 Am7][C/D]〜

(Cキー版)
[C][G/C][Gm7 A7][Dm7]
[Fm7 Ab/Bb][Ebmaj7][D7][G7 F/G G]
[C][G/C][Gm7 A7][Dm7]
[Fm7 Ab/Bb][Ebmaj7][D7][G7 F/G G]

[Fmaj7 G/F][Em7 Am7][Dm7 G7][Cmaj7 Gm/C C]
[Fmaj7 G/F][E7 Am Am/G][D7/F# D7][Dm7/G G7 E7/G#]
[Am Ab+5][C/G F#m7-5][Dm7 Dm7/G]

間奏[C][G/C][Fmaj7 Em7 Dm7][F/G]〜

 この曲のすごい所は、王道で定番のパターンがギュッと詰め込まれているのに、それらが効果的に使われているので、ゴチャゴチャした印象にはならずに実に自然な流れの中で明確な起承転結を形作っているというところです。以下、定番のポイントをCキー版を元にピックアップしてみます。

【定番ポイント1】4度上への部分転調
 基本的に、ドミナント7thを強引に前置すれば、どんなコードに進行させることも可能で、その際に起こる一時的な転調を部分転調と呼びますが、これが奇をてらった感じではない自然な流れとなる定番のパターンがいくつかあります。その1つが、サブドミナントを一時的にトニックとみなした4度上への部分転調です。
 Cキーで言うと、トニックのCからサブドミナントのFに進行する際に、Fに解決するII→V進行(Gm7→C7)を前置して、C→Gm7→C7→Fとすることで、一時的にFメジャーキーに転調したような印象になる、というものです。解決先をFではなくDm7にすると、C→Em7-5→A7→Dm7としてDマイナーキーへの部分転調となりますが、ポップスの世界では平行調(同じ調号の付く短調と長調)は結構ボーダーレスに行き来するので、CメジャーキーからDマイナーキーへの転調もフラットが1つ増えるという意味でこれもFメジャーキーへの転調と同様4度上への転調とみなしてよいかと思います。
 今回の曲では、Dm7への進行でEm7-5の代わりにGm7を用いたC→Gm7→A7→Dm7というパターンが1〜4小節に出現します。(後述しますが、1〜2小節のコードはまとめてCとみなします。) メロディーも、元のダイアトニックスケールには含まれず、一時的な調性のダイアトニックスケールには含まれるBb音が転調のきっかけとして使われていますね。

【定番ポイント2】2度下への部分転調
 前項で、平行調同士はボーダーレスに行き来できると書きましたが、実は同位調(同じ音を主音とする短調と長調)も(これはポップスに限らず)結構強引に行き来できます。そして、同じような感覚で、一時的に終止したメジャーコードから、同じルートを持つマイナーコードへの進行(もしくはその逆)も、メロディーラインも含めて比較的スムーズに行えます。これを利用すると、たとえば一時終止感のあるCメジャーコードから、Cm7に強引に進行し、これをIIm7とみなしてII→V→I進行を行うことで、C→Cm7→F7→Bbという進行が可能となり、2度下への部分転調が実現します。
 今回の曲では、1〜4小節でDm7に一時的に終止した後、平行調のトニックであるFに進むかわりに同じルートのマイナーコードのFm7を持ち出し、それをIIm7と見なしたII→V→I進行で6小節目のEbmaj7に進むことで、Fメジャーキー(Dマイナーキー)からEbメジャーキーにさらに部分転調しています。(実際には、II→V→I進行のV7=Bb7の代わりにAb/Bbを用いています。) メロディーでもAb音・Eb音が使われていて転調感が明確になっています。

【定番ポイント3】短3度下への復調
 メジャーキーから見ると、平行調の同位調は短3度下、同位調の平行調は短3度上なので、短3度の転調は一般にスムーズに行われます。この曲では、6小節目でEbmaj7に一時終止した後、Ebメジャーキーの平行調であるCマイナーキーのトニックへ進むようなII→V→I進行が行われ、最後のIの部分がCmの代わりにCとなることで、Cメジャーキーへの復調が実現しています。(2回目の15〜17小節では、II→V→IVでサビ頭のサブドミナントに進行しています。)
 4度上・2度下という部分転調の連続は、この最後の短3度下への復調のためのネタ振りでもあったわけです。
 なお、このCに進むII→V→I進行は、IIm7→V7→Iではなく、II7→V7→Iといういわゆるドッペルドミナントから始まる進行になっており、II7=D7の特徴音であるF#音がメロディでも使われているため、メロディだけ見ると、直前までEbメジャーキーのフラット系の音が使われていた中でシャープ系の音が出てくるという結構アクロバティックなものになっていますが、その大胆な展開が自然な流れの中で起きているあたりに、聴く者の感情を揺さぶる秘密がある気がします。

【定番ポイント4】IV→V/IVから始まるサビ
 IVから始まってIに一旦落ち着くまでの大きな流れで、4度進行の連続を用いてIV→IIIm7→VIm7→IIm7→V7→Iと展開していく進行は、途中でトニック系のVIm7に一時解決する地点もあり、局所的な起承転結ができているので、ドラマチックなサビなどでよく使われますが、その中でも、冒頭のIVをIV→V/IVと分解するパターンは王道中の王道です。今回のCキー版で言うと、17小節目頭のFmaj7→G/Fの部分ですが、Fmaj7→G→Em7ではなくベース音を保持してGの代わりにG/Fを使うのがポイントです。これは、単にベースラインをスムーズにする効果があるだけではありません。ベース音を保持することでサブドミナントとしての位置づけは保ちつつ、上の和音はドミナントに進行して、なおかつベース音に対する増4度という非常に緊張感の高い音を内包することで、内なる感情の高ぶりのようなものを表現するにはもってこいの進行なのです。
 なお、IV→V/IVではベースを保持して上声部が変化、V/IV→IIIm7では上声部は保持してベースが変化、となっている点も、スムーズな進行でダイナミックな効果が得られるという意味でこの進行が好まれる理由となっています。

【定番ポイント5】2度目はより強い進行に
 21小節目からのサビの後半も、サビ前半と同じFmaj7→G/Fから始まっていますが、その後の展開は変化します。ベースラインは同じE→Aですが、単に4度進行というだけでドミナント7thは出現しない前半のEm7→Am7に対し、後半ではE7→Amという明確なドミナント進行とすることで、一時的なマイナー感を打ち出しています。さらに、その後の展開も、前半はDm7→G7→Cmaj7という普通のII→V進行ですが、後半ではドッペルドミナントD7を使ったより強い進行を用いています。25小節目以降楽曲全体が解決に向かう直前に置かれている24小節目のドミナントで一旦タメを作る前のD7→G7の進行の部分に、メロディー全体の感情のピークも設定されていますね。

【定番ポイント6】ベースの半音下降
 曲の最後に、また王道中の王道のベースの半音下降が出現しています。25〜26小節目のAm→Ab+5→C/G→F#m7-5は、コード全体としてはAmを維持して、内声がA→Ab→G→F#と変化するクリシェの部分をベースに持ってきたと解釈できますが、ベース音が変わる以上、そこにはただのクリシェよりは明確なコード進行感も現出します。また、A音は途中でベース音と衝突するので、上声部で維持されるのはC音とE音です。F#m7-5からG(実際にはDm7/G)への進行は、ベースの流れで言うとF#m7-5→Fmaj7→Dm7/Gとなりそうですが、ここでは曲の最後の終止感を明確にするため、Fmaj7ではなくDm7を用いてII→V進行にしています。これは、半音下降の流れでFmaj7になる所をベースだけDに落としたという解釈と、Amから始まる一連のコードを大きくAmとしてくくって、Am→Dm7→Dm7/Gという進行だという解釈もできます。そもそも、F#m7-5自体、D7の代理コードという意味合いもあり、そのままでもGに進行できるコードですが、半音下降の進行でじわじわため込んだものを一旦切り捨てて大外からDm7→Dm7/Gという進行に持ち込むというあたりが、歌詞の内容とも連動した演出にも見えます。(亜美さんが弾き語りで歌う時は、まさにそんな感じで歌ってますね。)
 ベース音のスムーズな進行ということで言うと、他にも22〜23小節目でAm→D7の代わりにAm→Am/G→D7/F#、24〜25小節目でG7→E7→Amの代わりにG7→E7/G#→Amを用いているあたりにも見て取れますが、スムーズ過ぎる進行も時にダイナミックさを損なうことにもつながるので、23〜24小節目でD7/F#→Dm7/Gと繋がずに、間で1回ベースをDに落としているのは、潔さを残したいというバランス感覚なのだと思います。

【定番ポイント7】引き算による彩りボイシング
 なにげないボイシングに着目すると、またいくつかポイントが見つかります。
 まず、曲の冒頭でC→G/Cという進行が使われています。歌い出しはあまりうるさくコードを動かさずさりげなく始めたいところなので、この2小節は基本的にはCコードのままで、単純なCから2小節目ではテンションとしてB音D音を追加して少しだけ変化をつけているのですが、ポイントは2小節目でE音を抜いているところです。(G/Cは構成音で見るとCmaj9からE音を抜いたコードです。)ルートに対して3度の音というのは、コードの機能としてはルートに次いで重要な音なので、これをあえて除外して、結果的に上声部にGメジャーの3和音ができることで、同じCをルートとしてCメジャーコードのコードノートとテンション以外使用していないにもかかわらず、Cメジャーコードとは異なる何かがそこに出現しているのです。
 あと、細かい所ですが、20小節目のCmaj7から次の小節のFmaj7に繋ぐ進行も、このコードネームで表されるボイシングが選ばれている理由があります。この部分はトニックのCmaj7に一旦解決した後再びサブドミナントのFmaj7に進む際に、Fmaj7に解決するセカンダリードミナントであるC7を経由したCmaj7→C7→Fmaj7という進行が基本形です。さらにこのC7がGm7/C→C7と分解されてCmaj7→Gm7/C→C7→Fmaj7というのがよくあるパターンですが、ここでは、Gm7/CのF音と、C7のBb音が除外されてCmaj7→Gm/C→C→Fmaj7となっています。
 まず、Gm/Cについて、GmとGm7では大して違わないように見えますが、ベースにC音を置いた場合は、G音から見た7度は実はルートから見ると4度となり、コードの構成音としては非常に重要なものです。Gm7/C→C7という進行は、C7sus4→C7という意味合いがありますが、Gm7/CではなくGm/Cとすることで、その意味合いが消えるのです。実は、採譜したバージョンのピアノでは、ここでボイシングによるラインとしてD音→E音という流れが使われており、その程度の彩りは欲しいけど、C7sus4→C7という進行を持ち出すのはToo muchであるということで、あえてF音は除外されています。
 一方、C7ではなくCを使われている部分について、Fmaj7に進むドミナント7thとしても、また一時的な転調感を出す上でも、Bbの音は本来は非常に重要な音なのですが、これを省略できるのは、直前のGm/CであらかじめBb音が提示されているためです。Gm/Cのところで既に転調感が出ているので、あらためてCの所にBbを入れる必要はなく、また、Bbを含むスケール上でのCなので、C7にしなくてもFmaj7に進むドミナントとしての機能を持つCだと自然に感じ取れるのです。もちろん、必要がなくても入れてもよさそうですが、ドミナント7thの4和音をそのまま全部鳴らすと、そもそも、結構くどい、もしくは野暮ったい印象となるので、3和音で済むなら音の響きとしてはそちらの方がきれいなのです。さらに、内声のラインとしてBb→Cというものを浮かび上がらせる意味でもBb音は除外されているのです。
 つまり、Cmaj7→Gm/C→C→Fmaj7は、コードの機能上必要なものは残しつつ、夾雑物を除外してきれいな流れを作った、洗練されたボイシングなのです。

 ここでは、あくまでもコードに着目したので、コードとメロディーの関係まではあまり言及していませんが、どこを取ってもポップスの教科書のような完成された楽曲だということがよくわかりますね。

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UTAU TOUR 2010(大貫妙子&坂本龍一)

 先日(11/22)、大貫妙子&坂本龍一の2人コンサートUTAU TOUR 2010の東京公演(@昭和女子大学人見記念講堂)に行ってきました。(記憶の新しいうちに書こうと思っていたのですが、もう12月も3割方終わってしまいました…)

 一つ一つの言葉をとても大切に歌い上げる大貫さんの歌を、教授のピアノだけの研ぎ澄まされた空間で聴く、とても贅沢な時間に感謝。

 大貫さんと教授といえば、アルバム「cliche」が大好きで、大学時代から(発売は高校時代ですね)愛聴盤として数え切れない回数聴いてきたのですが、半年ぐらい前だったか、大貫さんの去年までやっていたアコースティックコンサートがBSで放送された際に「黒のクレール」など当時の楽曲も歌っているのを聴いて、あらためて自分はこの人の歌が好きだということを再認識しました。
 その時の放送で特に胸を打たれたのが「風の道」という曲。これも「cliche」に収録されているのですが、この歳になってようやくその言葉の重みがわかるようになった気がします。以前は、「cliche」の中では「黒のクレール」「色彩都市」あたりが好きだったのですが、今はこの曲が一番。先日も、アルバム「UTAU」のDISC1最後に収録された「風の道」を聴いていて、最後のワンフレーズに、仕事をしながら一人泣きそうになってました(^_^;
 そのフレーズをここに書くことはしません。是非、彼女の歌声でその言霊に出会って下さい。

 今回のステージではその「風の道」はアンコールの最後に歌われたのですが、彼女自身、やっとこの曲を歌う年齢になったというようなことを言っておられました。その曲を20代で書いた彼女の才能もすごい。

 アンコールの2曲目で(1曲目は教授のピアノだけで戦メリでした)「色彩都市」をやってくれたのも自分としてはとてもうれしかったです。今回はドラムもベースも打ち込みもなしでピアノだけで端正にリズムを刻む「色彩都市」だったのですが、文字通りカラフルな彩りの楽曲は文句なく素晴らしく、当時この作品を生み出した2人の生演奏でこれを聴けるというのは幸せでした。

 この新譜&ツアーでは、教授のインストの曲に大貫さんが言葉を乗せた曲も数多く披露されているのですが、教授の曲の音使いと、彼女の声・歌い方は非常に相性がいい気がします。他にも、今回のために書き下ろされた新曲(twitterのことを歌ったような曲もありました・笑)や、以前教授が坂本美雨嬢に書いた「鉄道員」の主題歌の「鉄道員」(「ぽっぽや」の主題歌の「てつどういん」と読むそうです。作詞は奥田民生)、童謡「赤とんぼ」など、「メロディーと言葉」という歌の基本要素自体が持っている力をまっすぐに引き出す楽曲の数々は、(去年聴いた佐藤竹善+塩谷哲の場合とはまた全く違う方向での)歌というものの帰るべき場所を示している気がします。

 こんな上質な音楽空間に、これからあと何度出会えるのでしょうか。

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シンシナティ交響楽団 in NHKホール

 音楽鑑賞週間の最後は、フルオーケストラと相成りました。昨夜(26日)は、シンシナティ交響楽団のアメリカンな演目でのコンサート。これは、先週末に突然友人から「行けなくなったからチケットを2枚譲る」と言われ、大急ぎで別の友人を誘って実現したもの。今年1月にバレエを観に行ったというのはありますが、純粋にオケを聴くというのは、以前鹿児島で地元演奏家を集めた里帰りコンサートを聴いたぐらいしか記憶になく、世界的に活動しているオケを生で聴くのはおそらく初めてです。(幼少期にあったかどうかは定かではありません。) そういうわけで、他のオケと比較するような意味での鑑賞眼は全くないのですが、まずはオーケストラというもの自体を非常に興味深く鑑賞させて頂きました。いきなりS席で(しかもタダで)聴くことができたというのも、実にラッキーです。

NHK音楽祭2009「オーケストラが奏でる故郷(ふるさと)の名曲」
NHKホール

10/26(月)シンシナティ交響楽団/指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

曲目:
コープランド/庶民のファンファーレ
バーバー/弦楽のためのアダージョ
バーンスタイン/「ウエストサイド物語」〜シンフォニック・ダンス
ドボルザーク/交響曲 第9番「新世界から」

アンコール:バーンスタイン/キャンディード序曲

 プレトークで、音楽評論家の方が「アメリカのオケというと、歴史の浅いものという先入観があるかもしれないが、このオケはヨーロッパの有名なオケと比べても古い歴史があって云々」というような話をしていましたが、若い国であるということがアメリカという国自体を特徴づける属性であるのですから、そもそもヨーロッパのオケと全く同じ価値観を求める必要もないのではないかと思います。シンシナティという街はドイツ系移民の街だそうで、ヤルヴィは旧ソ連時代のエストニア出身、今回の演目のドボルザークはチェコ出身で、この曲もアメリカで書いたものではありますが母国の土着的な音楽性を色濃く残しており、そういう多国籍的状況こそ、アメリカンなプログラムにはふさわしい気がします。
 1曲目は管のお披露目、2曲目は弦のお披露目。素人の認識では、オケというと弦楽器中心で把握しているので、打楽器などの特殊なパートを除き一人一人の音は全体に埋没しているのかなと思ってしまいがちですが、こと管楽器に関しては、1本1本の音もよく響きますし、生で実際に聴くと、一人一人の力量が演奏全体のクオリティに直結しているのがよくわかります。1曲目(一般には「庶民の〜」ではなく「市民の〜」と呼ばれているようです)は、短いまさにファンファーレという曲ながら、自慢の管楽器隊の技を堪能できました。一方、弦楽器は、ボウイングや表情の付け方など、全員の統制のとれた演奏が肝なので、弱音での演奏など繊細なところで真価が問われるのだと思いますが、今回の2曲目では大編成ストリングスでのピアニッシモという贅沢きわまりないものが聴けました。ピアニッシモとメゾピアノの範囲内での繊細な起伏が、一切の濁りなく見事に表現されていました。ただ、私個人として非常に残念だったのは、全体の音量が小さくなればなるほど、ここのところ慢性化している耳鳴りの音が相対的に大きくなり、一人だけSN比の著しく悪い音空間に閉じ込められていたこと。こんな場面でまで日頃のストレスが影を落としているのは悲しい...。
 3曲目は、ジャズやポップスの要素も盛り込まれたまさにアメリカンなプログラム。こういう曲で、オケに詳しくない人間からすると非常に不思議なのが、リズムの合わせ方です。指揮者のいない小人数のバンドの場合は、ドラムなどを軸に演者同士で耳でビートを合わせるのですが、オケの場合は当然指揮者がリズムをコントロールしているはずです。でも、基本的に指揮者は出す音よりも早め早めに指示を出していくわけで、実際に客席から見ていると、指揮者の動きと出てくる音との間に大きなズレがあります。もちろん、音が届くのにかかる時間によるタイムラグはありますが、そんなにステージから遠い席でもなかったので、演奏者の動きと音のズレはあまりなく、指揮者の動きと演者の動きには半拍ぐらいのズレがあるように見えました。実際には、演者も自律的にリズムキープしていて、要所要所を指揮者が締めるという形だから問題ないのかもしれませんが、この指揮者の動きを注視しながら演奏していると、聴き手に伝えるべき「ノリ」と同じものを演者が感じながら演奏することが本当にできるのだろうかという疑問が沸いてきます。あと、普段ドラム・ベースを軸としたポップスを中心に聴いている人間からすると、もっとオケ全体が一体となってスイングするようなものを想定していて、少しイメージしたものとは違う印象もあったのですが、もしかしたら聴いている自分も指揮者の動きに惑わされて出てくる音に集中できずにいただけであって、目を閉じて音だけに集中していたら、もっと素晴らしい(ノリの良い)世界が展開していたのかもしれません。そういう意味では、「聴き手は指揮者を見るべきなのか」という疑問も沸きます。せっかく生で観ているので、耳と目からできるだけ多くの情報を吸収したいというのはありますが、それによって指揮者の意図する音楽性が多少なりとも損なわれているのであれば考え物ですね。
 休憩後、後半は「新世界から(より?)」。今でも学校の下校時刻にはこの第2楽章のメロディーを流しているのでしょうか。小学校時代に夕日の印象が刷り込まれたせいもあるのでしょうが、この曲はどうしても広大な大地に沈みゆく夕日の風景画のイメージを背景にして聴いてしまいます。実は正統的な(?)クラシックとはずいぶん雰囲気の違う音使いもちりばめられており、例えば第3楽章の冒頭で、ティンパニーをからめたキメの直後に、E→B→G→Dという順番でストリングスが音を積み重ねるところがあるのですが、ポップスの言い方ではEm7のコードで、7度の音をトップノートに持ってきて強く押し出すなんてのは、なかなか他では見かけない大胆な音使いです。その後も、ペンタトニックのフレーズが効果的に使われていたりと、普段クラシックを聞き慣れていない者にとってはむしろ親しみやすさのある作品です。
 アンコールは、華やかなミュージカルの序曲で締め。この日のコンサートはNHKFMで生放送されていたらしく、時間枠のため若干曲間の演出などには制約があったようで、4曲目が終わったらすぐアンコール用の追加メンバーが入場したりというのは、ご愛敬。アンコール時のくどいほどの拍手や繰り返される挨拶というものは、正直あまりなじめないものを感じるのですが、それは、自分が拍手がすぐ鳴り止むような寒いステージというものに出会っていない幸せ者なのか、実は「日本の観客はどんな演奏でも最後だけはしつこく拍手をする」と演者にも煙たがられているのか、そこはよくわかりません。それはそれとして、この日のコンサートは私にとっては非常に新鮮な音楽体験となりました。(久々に、自分の曲でもストリングスにこだわったアレンジをしたくなりました。)

 コンサート後は、この日の連れのスペイン通のピアニストの友人に、スペイン風居酒屋(バル・Bar)に連れて行ってもらいました。すると、運良くその日はフラメンコの無料ライブが実施されていて、入店直後にスタートというタイミングの良さで、贅沢な音楽のハシゴとなりました。

 実は、日曜にも会社時代の先輩がやっているアマチュアのサックスサークル(老人ホームの慰問などの活動をしているようです)の発表会に呼ばれ、青梅まで小旅行してきたので(これは、発表会そのものよりも、その先輩と久々に話ができて、9年前辞めた会社で一緒に仕事をしていた仲間の近況などを聞きつつ、自分の人生のこれまでを振り返り今後を見据える上で、自分にとっては重要だったのですが)、それと、最後のフラメンコを含めると、8日間で5本の音楽イベント。9日前まではそのうち1つしか予定されていなかったわけで、すさまじい確変状態です。おかげで、久々にいろいろなポジティブな刺激を吸収できた上、途絶えかけていた友人たちとの交流の糸も少しずつ修復され、乾き果てた大地に雨が降ったようにもう一度前向きに歩き出すチャンスをもらった感じです。(もちろん、諸々の取り巻く環境の厳しさは変わらないのだけど。) 今日は、1週間分の疲れがドッと出てあまり使い物になりませんでしたが、明日からまたがんばれそうです。

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SALT & SUGAR in Orchard Hall

 今日(10/22)は、月曜とは別口で渋谷Bunkamura Orchard HallのSALT & SUGARのコンサートに行ってきました。本当はこっちが先に予定されていたのですが、BASIAに急に行くことになったので、はからずもライブ鑑賞ウイークとなってしまいました。ただでさえ楽しいイベントの少ない生活を送っているのに、こんなハイグレードなライブに連続して行くなんて、もったいない!(苦笑)

 SALT & SUGARは、知る人ぞ知る、塩谷哲(Pf)と佐藤竹善(Vo)のデュオユニット。スタンダードナンバーからオリジナル曲まで、ピアノ一本と歌だけで自由にやってしまおうというシンプルなユニットなのですが、この2人の組合せというのがまさに絶妙で、私の中ではこれは奇跡のデュオだと思っております。クラシックからジャズまで幅広い音楽的素養と技術、アレンジ能力とアドリブ能力を持つ塩谷哲の生み出す音世界の高度な音楽性に、津軽で演歌を聴いて育った日本の土着的ルーツ(?)も持ちながら、洋楽のロック・ポップスを幅広く歌いこなす歌唱力は折り紙付きで、スタジオでのコーラスワークも数多くこなす安定した器用さもあり、(MCも含めた)エンターティナーとしての才能にもあふれた佐藤竹善が融合することで、どんな素材でもこの2人にしかできないクオリティーの高いエンターテインメントに昇華させてみせてくれます。13年前に最初に発売されたアルバム「CONCERTS」はライブ盤(一部スタジオでストリングスを重ねたものやスタジオ収録曲もあり)で、たまたまFMで流れていたその中の「Wait For The Magic」という曲に感動して買ったこのアルバムは、今でも愛聴盤です。その後も単発のライブなどの活動は行っていたようですが、今年「CONCERTS」以来のアルバムを2枚(「Interactive」はスタジオ盤、「CONCERTS II」はライブ盤でこれまでのコンサートからのセレクション)発売、同時に結成時以来のツアーも行っており、今日はそのツアーのうちの東京公演でした。

 そのコンサートですが、2時間半近く(←よく考えたら3時間近くでした)の長丁場を一瞬たりとも飽きさせない、密度の濃い内容でした。(MCも長かったですが(笑)もちろんMCも飽きさせませんでした(^_^;)
 途中、よりクラシック方向の音楽世界のコーナーということで、ラフマニノフのピアノ協奏曲のメロディーを歌にした曲(だれのなんという曲だったかは失念「All By Myself」Eric Carmen)の前に塩谷さんのピアノソロがあったのですが、聴き慣れているジャズの手法による即興演奏ではなく、あくまでもクラシックのピアノ曲という形での即興演奏というのが非常に興味深かったです。うがった見方をするとクラシックのピアノ曲という広いカテゴリー全体のパロディーとも思えるようなそれっぽい「様式」もちりばめつつ、しっかり情操を展開していくのはさすがです。途中、ついついジャズ風のアウトしていくフレーズが飛び出してたのはご愛敬。
 今日唯一のゲストは、服部克久先生の曲でハーモニカ奏者として登場した西脇辰弥さん。マルチプレイヤーでプロデューサーでGUEENのリーダーとしても知られていますが、私は吉田美奈子さんがらみのステージで何度かお見かけしてました。竹善さんも絶賛してた通り、服部先生の未だ衰えぬVIVIDな楽曲も素晴らしいです。
 今回のセットのハイライトは、やっぱりコリアの「SPAIN」でしょうか。あの有名なキメの部分は、最初はピアノとボーカルで普通にシンクロさせていたと思うのですが、後半で出現するところでは、ボーカルがそのフレーズを歌っている間ピアノはコードワークで別の世界に展開していき、最後にそれがメロとシンクロして解決するという感じのアレンジになっていて、それが異様にカッコイイ。
 アンコールの最後は、美空ひばりの名曲「川の流れのように」をシンプルなアレンジで。こうして聴くと、今回のセットにもあった「Wonderful World」(Chris Eaton)のような洋楽のバラードとも相通じるようにも聞こえます。シンプルなメロディーは歌い手をそのまま投影するということでしょうか。

 ピアノと歌という組合せの持つ無限の可能性の拡がりをどこまでも感じさせてくれる、素晴らしいステージでした。おなかいっぱい。

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BASIA in Blue Note TOKYO

 昨日(10/19)BASIAの東京公演最終日の最終セット(21:30スタート)に行ってきました。前日の日曜日に突然友人に誘われて、それから席を確保したのですが、無事指定席(アリーナソファシート)が取れました。もちろん公演によって違うのでしょうが、平日の回ならば急に思い立っても行けるのは、大人のライブハウスでの公演の魅力です。
 最初登場した時、吉田美奈子ばりの恰幅のいいお姿に仰天したのですが、音楽の楽しさがぎゅっと詰まったライブでした。
 編成は、キーボード1人、アコースティクギター(曲によってはベース)1人、トランペット(と、手が空いてる時はシェイカーなどの軽いパーカッション)1人の3人の楽器陣と、コーラスが2人。ドラムもコンガもないので、曲によっては少しビートが物足りないところもありましたが、リラックスして聴くぶんにはちょうどいい感じで、それにイタリア人のギタリストが非常にうまく、音使いもビートも雑なところが一切ない安定したボサノバサウンドを一人で生み出していました。
 そして、なんといってもBASIAといえば計算されたコーラスワーク。3人の歌姫によるハーモニーは圧巻でした。BASIA本人は、高音域が少し出にくくなっているようで、ソロの部分では、上がりきらなかったり、声量のスムーズなコントロールができなかったりというところも少しあって残念でしたが(女性の声域は年齢とともに下の方にシフトするので、昔からの楽曲をやる際はある程度仕方のないことです)、ハモリの部分では3人の息はぴったりで、特にモーリシャス出身のクラリス姉妹のパフォーマンスは完璧でした。ステージ中盤ではコーラスの2人がそれぞれリードボーカルをまかされる曲が1曲ずつあり、BASIAの楽曲の良さを完璧に伝えるという意味では、この編成で1ステージ聴いてみたいと思わせるような、これもすばらしい出来でした。
 あと、個人的には、長年BASIAと組んでいるらしいキーボードのダニー・ホワイトの、何も難しいことはやっていないけれどもツボを押さえた演奏も印象的でした。
 15年ぶりの新譜からの曲だけではなく、「Drunk On Love」「Copernicus」といった往年の名曲も、そのままの形でやってくれて、とてもHappyな夜となりました。時折クオリティの高いライブに誘ってくれるこの友人にも感謝。

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「Saving all my love for you」

 なんだかんだと、8月初旬までは冬〜春の仕事を引きずっており、その後ようやく作曲活動も再開、納得いく作品はまだなかなか作れないまでも、なんとかぼちぼち書き下ろしでコンペにも参加するようになってきました。今まで埃をかぶっていたピアノ(もちろん電子ピアノ)に向かう時間も増えてきました。といっても、ちゃんとしたピアノ曲を通して弾くなんてことは全然できないのですが、曲を書く上で必要なコードのボイシングとかは昔バンドでキーボードをやってた頃に指が覚えているので、ピアノでコードの流れを組み立てながらメロディーを作っているようなわけで。

 ピアノに向かうと、ついついコード進行をたどりたくなる曲があります。それは、昔コピーした曲だったり、耳で覚えてるだけの曲だったりいろいろなのですが、トップノートがメロディーラインになるようにゆっくりコードをたどっていくだけで、名曲の名曲たる所以がよくわかります。原曲を聴きながらコードを確認するわけではないので、基本的に相対音感の自分としては、CメジャーキーやAマイナーキーに移調したコードで弾いていることが多いのですが。
 最近はまってるのが、Whitney Houstonの「Saving all my love for you」。歌詞はド演歌なんですが(笑)とにかく曲がイイ。こういう、起承転結がはっきりしていて、なおかつコード進行とメロディーで「音楽の魔法」がかけてあるような曲は、もともと大好物なのですが、この曲のサビ(というか展開部)のダイナミックな流れは絶品です。
 それで、せっかくなので、好きな曲や、昔コピーしたいい曲のコード進行をもう一度掘り返す作業を、これから時間のある時に意識的にやっていこうかなと思っています。バンドで耳コピーでいろんな曲に触れたのが自分の一つの原点なので、原点回帰の意味もあり、コードがあれば、バンドでセッションすることもできるでしょう。(市販の楽譜があるものも、それに載ってるコードネームが気に食わないことも多いですし。)
 メロディーや歌詞をつけずにコード進行だけなら、ブログに載せても問題ないと思うので、とりあえず「Saving all my love for you」を。(カッコが1小節に相当します。この曲は3連バラードなので、2拍子(ないし、6/8)と解釈しています。) 曲の構成は繰り返しは適当に端折ってます。自分が今まで弾いてたのは下のCキー版の進行だったのですが、いま原曲を確認したら上のAキーでした。


「Saving all my love for you」

(オリジナルキー)
[Amaj7][F#m7][Bm9][D/E]
[Amaj7][F#m7][Bm9][D/E]
[F#m7][B/F#][F#m7][B/F#]
[A E/G#][F#m7 A/E][G#m7][C#7(alt)]
[Dmaj7 C#m7][Bm7 Bm7/E][A][*]

[G#m7][C#7(alt)][F#m7][*]
[Bm9][Bm7/E][Amaj7][*]
[D#m7(11)][G#7(-9)][C#maj7][*]
[F#m7(11)][Bm9][Dmaj7/E][*]

[Amaj7][F#m7][Bm9][D/E]
[Amaj7][F#m7][Bm9][D/E]
[F#m7][B/F#][F#m7][B/F#]
[A E/G#][F#m7 A/E][G#m7][C#7(alt)]
[Dmaj7 C#m7][Bm7][Dmaj7 C#m7][Bm7]
[Dmaj7 C#m7][Bm7 Bm7/E][A]

(Cキー版)
[Cmaj7][Am7][Dm9][F/G]
[Cmaj7][Am7][Dm9][F/G]
[Am7][D/A][Am7][D/A]
[C G/B][Am7 C/G][Bm7][E7(alt)]
[Fmaj7 Em7][Dm7 Dm7/G][C][*]

[Bm7][E7(alt)][Am7][*]
[Dm9][Dm7/G][Cmaj7][*]
[F#m7(11)][B7(-9)][Emaj7][*]
[Am7(11)][Dm9][Fmaj7/G][*]

[Cmaj7][Am7][Dm9][F/G]
[Cmaj7][Am7][Dm9][F/G]
[Am7][D/A][Am7][D/A]
[C G/B][Am7 C/G][Bm7][E7(alt)]
[Fmaj7 Em7][Dm7][Fmaj7 Em7][Dm7]
[Fmaj7 Em7][Dm7 Dm7/G][C]


 Aキーの中で、サビの部分のD#m7(11)−G#7(-9)−C#maj7という展開はすごいですね。このアクロバティックな展開を自然なメロディーで元のキーのドミナントに繋げて大盛り上がりを演出することに成功しているのは、実は作曲者だけの手柄ではありません。この曲の音域はきっちり2オクターブ(←修正:F#からEまでで、1オクターブ+7度でした)あるのですが、歌い手がホイットニーだから、作曲者がこの2オクターブのレンジを自由に使うことができ、音楽的でない制約抜きで自然な流れを作ることができているのです。自分が普段参加しているコンペに2オクターブのレンジの曲なんかを提出しても、失笑を買うだけです...。
 ただし、例えば1オクターブしか使えないという制約の中で、陳腐でないメロディーを作るために、あえてアクロバティックなコード進行を使うことはあり、それに成功してレンジの狭さを感じさせない曲ができた時は、それはそれで快感なのですが。

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「グガン」

 先週と先々週の日曜の朝「題名のない音楽会」に往年の第2期山下洋輔トリオが復活出演した。フリージャズというカテゴリー分けとは関係なく、この人は他の誰でもない特別な存在であって、この人の演奏をテレビで聴けるなんてのは、それは一大事なのである。
 高校の頃に筒井康隆にはまり、その流れで山下洋輔のエッセイを読んで、そのあまりの面白さ痛快さに、まず活字方面から強烈なインパクトを受け、その後実際の演奏を聴いて、文章からイメージしていた通りのことがそこに現出していることに愕然とし、自分の中では天才=山下洋輔という図式が出来上がったのだが、氏は、いわゆる天才肌ではなく、個性豊かな野武士のようなジャズマンたちを束ねる兄貴分的なキャラクターと、いくつになってもチャレンジャーでありつづけるアグレッシブさ(だからこそエッセイが面白いのだ)も兼ね備えているパワフルな天才であり、その人間としてのありかたにも強い影響を受けた。ただ、実際にその演奏に直接触れる機会はあまりなく、もちろん何度か生で聴いた時は毎回圧倒されるのだが、伝説の初期の山下洋輔トリオの「名曲」には、活字でしか聴いたことのないものもたくさんある。
 今回は、タモリもゲスト出演し、今や神話と化している博多での山下洋輔一派による「タモリの発見」のくだりが、タモリ本人の口から語られるという、ファンにはたまらないイベントもあったのだが、それよりも、まさに昔「活字で」聴いていた初期のトリオの代表曲「グガン」が、森山威男と、蕨のおっちゃんことミジンコ博士こと坂田明との共演で、しかもテレビで聴けたというのは感動ものであった。「グガン」というのは、「グガン、グガン、ダバトトン、グガン、ダバトトン」というのがモチーフとなっている曲である。うむ、たしかにあれは、「グガン、グガン、ダバトトン、グガン、ダバトトン」以外の何物でもない。
 それにしても、日曜の朝っぱらから見るには濃すぎる番組であった。来週は日比谷野音で「結成40周年記念!山下洋輔トリオ復活祭」があるそうだ。まだ立ち見ならチケットはとれるかもしれないが...立ち見だと同世代は誘いにくい(苦笑)。

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「街の雫」

 偶然、"Trickles"という単語を見かけて、後藤次利のアルバム「CITY TRICKLES:街の雫」を思い出した。大学時代にレンタルレコードから録音したカセットを持っていたのだが、ずっとCDでの発売を心待ちにしていた名盤である。ネットで検索してみると、なんと!当時のレーベルの作品を集めた3枚組CD「Fitzbeat Years 1983-1985」として去年の11月に発売されていた! もちろん、即Amazonで購入し、それがさっき届いたところ。

 このアルバムを通して聴いたのは何年ぶりだろう。ベーシストのソロアルバムでありながら、当時の最新の電子楽器を便利な道具としてではなく音を作り込むための武器として駆使し、前衛的だけどポップで、計算された熱気が伝わってくるこの作品は、今でも全く色あせない。昔の名盤の再発とかだと、音質がひどくてがっかりすることもあるが、そんなことも全くなく、音楽がまだ希望に満ちたものであったあの頃の空気がそのまま蘇ってくる。

 このアルバムは、当時12インチ45回転のミニアルバムの2枚組という特殊な形態で発売され、1枚目はインスト、2枚目は主にボーカル入りである。エッジの効いた作品は1枚目に多いが、当時バックコーラスのスペシャリストとしてシーンを支えていた山川恵津子のボーカルをフィーチャーした2枚目は名曲が目白押しである。本人も気に入っていて一般にも評価が高いのはラストナンバー「THE NIGHT LANDING:誘導灯」だが、私が好きなのは、山川恵津子のWhisper Voiceが一番印象的な、2枚目の1曲目(今回のCDでは7曲目)の「FIRST SOLITUDE:すれ違った孤独」。当時、楽曲を単独で聴くのではなくアルバムを通して聴くことが多かったので、1曲目でその世界にぐっと引き込んでくれる作品が自分にとって大切なものだったのだと思う。

 ちなみに、インスト編の最後「URGENT:追い込まれた色彩」は、つい最近までテレビの夕方の報道番組のBGMで使用されていたので、日本中のかなりの割合の人の耳に残っているはずである。(今はあまりその時間のニュースを見ないので、まだ使われているかどうかは不明。) あと、1曲目「THE BREAKING POINT:終わりのない加速」は当時タイヤのCMで使われており、これも非常に印象的。

 久々の自分へのご褒美として、悪くない買い物。正直音楽に絶望しかけていた自分には、何かいいきっかけになるかもしれない。

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東新宿・SACT

 もう10日ほど前になってしまうのだが(時間が経つのが早過ぎて困る)、4/23の夜は新宿に、音楽学校時代の恩師でもある金田一郎氏プロデュース&全面バックアップの知野菜月さんというシンガーのライブを聴きに行く。度胸満点で個性的なキャラクターを弾けさせつつ、バラードとかではしっかりした歌唱力も披露し、日本土着っぽくパンキッシュな感じは、うら若い女性に冠するにはアレだが「女・泉谷」とでも言うべきか...と思っていたら、アンコールで本当に泉谷しげるの「眠れない夜」を歌ったので、ちょっとニヤッとしてしまう。素材としても確かなものがありつつ、肚も据わっているというところで、小さくまとまってしまわないようにという感じで金田先生も本気でサポートしているのであろう。今後どう伸びていくのか、楽しみである。

 個人的には、1つ前のセットで出演していた、知野嬢とはまた全く対照的に、Jazzyでボサノバチックなアコースティックギターとのデュオで情感溢れる完成された歌世界を聴かせてくれたシンガーさん(恒川恵美さんというらしい)も拾い物。たまに「この人は本当に歌うために生まれてきたに違いない」と思わせるような、歌声一つでその場の空気を一瞬で支配できる歌い手に出会うことがあるが、彼女もその一人。オリジナル曲だけでなく、マッキーの「もう恋なんてしない」をはじめ、内外のカバー曲も全て彼女のために書かれた曲なのではないかと思わせるような。

 ともあれ、いろんな刺激を持ち帰ることができて、呼んでいただいた金田先生に感謝。(ロッケンローなギタープレイも聴けたし。)

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Perfume「GAME」

 週末にようやく連載第2回の原稿も仕上げて一息ついて、何か自分へのご褒美が欲しかったので、AmazonでCDを買う。このところ服部克久の「音楽畑」シリーズを買い揃えようとしているのだが、今回はその16・17に加えて、どうしても気になっていたある新譜を併せて発注。それが...(年甲斐もなく)Perfumeの「GAME」。

 TVのCMで「ポリリズム」とか「Baby cruising Love」とかを聴いて、その耳に残る心地よいテクノサウンドを、「一昔前の近未来」風に演出されたアイドルがやってるというので、これは面白いとは思っていたのだが、中田ヤスタカが手がけているということで納得。単に「萌え」を提供すればいいという感じでフロントの人数だけ揃えて希釈された退屈なエンターテインメントを垂れ流してる市場に食傷感がある中、音楽としても密度の濃い新鮮で魅力的な内容のものをしっかり作り込んだ上でアイドル市場から発信してきたPerfumeが売れなきゃ嘘である。

 で、先程宅配便が届き、早速試聴してみて...渋谷系テクノとでもいうべきサウンドは、もちろん先人たちはいっぱいいるのだけど、そのテイストを借りてアイドルにかぶせたというのではなく、そのど真ん中にいるクリエーターが自らの美意識を曲げずに作り出している作品の中にアイドルを取り込んだという形で作っているので、借り物感もなく、当たり前のようにクオリティが高い。コードの流れもビートも、この手の心地良さは自分にはツボなので、やられた感でいっぱいである。自分も音楽を作る側からすると、ちょっとくやしい感じもあるのだが、これが爆発的に売れているという状況自体は悪くない。アキバ側からアプローチで聴くようになった人々の耳にも、ちゃんとした音楽が届いているというのは、喜ばしいこと。

 自分もそろそろまた何か作らないと。

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